過去の大会

大会ポスター(開催地)

決勝戦

  豆知識

第1回

1930(ウルグアイ)

ウルグアイ 4−2 アルゼンチン

ウルグアイ建国100周年を記念した大会。予選ナシ。開催国+招待13チーム(ヨーロッパから4か国、南米8か国、米国)。スタビレ(アルゼンチン)が8得点で得点王。

1921年大日本蹴球協会(後の日本サッカー協会)設立。1927年の極東選手権で日本は2対1でフィリピンを破り国際試合初勝利。1929年,FIFA(国際サッカー連盟)に加盟。Wカップ予選に日本は不参加。

第2回

1934(イタリア)

イタリア 2−1 チェコスロバキア

独裁者ムッソーリーニの要請によりイタリアで開催された。イタリアに集まった32か国による予選。本大会出場16か国。

日本はWカップ予選に不参加。

第3回

1938(フランス)

イタリア 4−2 ハンガリー

予選36か国。開催国と前回優勝国が予選を免除される制度の確立。レオニダス(ブラジル)が8得点で得点王。初の退場者(ガリント・ペルー)。この翌年に第2次世界大戦が始まった。

日本は日中戦争のためWカップ予選を棄権。

第4回

1950(ブラジル)

ウルグアイ 2−1 ブラジル

予選33か国。本大会参加国は13か国。5チームによる決勝リーグ戦方式を導入。アデミール(ブラジル)が9得点で得点王。

日本はWカップ予選に不参加。

第5回

1954(スイス)

西ドイツ 3−2 ハンガリー

予選38か国。本大会参加国は16か国(アジアから韓国)。すべての選手がユニフォームに背番号を付けた。26試合で、得点合計が140点。コチシュ(ハンガリー)が11得点で得点王。西ドイツの優勝は「ベルンの奇跡」と称された。

日本はWカップ予選で韓国に敗退。

第6回

1958(スウェーデン)

ブラジル 5−2 スウェーデン

予選55か国。17歳のペレがデビューし,準決勝のフランス戦でハットトリック。ミッシェル・プラティニ(フランス)の登場。ジュスト・フォンテーヌ(フランス)が13得点で得点王。レイモンド・コパ(フランス)が23アシストにより最優秀選手。テレビ中継が始まる。

日本はWカップ予選に不参加。

第7回

1962(チリ)

ブラジル 3−1 チェコスロバキア

チリ地震の跡が消えないチリで開催。予選56か国。フランス,スウェーデンが予選で敗退。ラフプレーが顕著になる。ペレがメキシコとの開幕戦で負傷。ウルグアイ,イタリア,アルゼンチンが1次リーグで敗退。バクラフ・マセク(チェコスロバキア)はメキシコ戦で,試合開始15秒で得点。

ワールドカップの歴史の中で最も悪名高い試合のイタリア対チリ(サンチャゴの戦い)ではイタリアが2人の退場者を出し,そのうちの1人はチリ選手の左フックで鼻の骨を折られた。

日本はWカップ予選で韓国に敗退。

第8回

1966(イギリス)

イングランド 4−2 西ドイツ

イングランド・サッカー協会100周年を記念して行なわれた大会。予選70か国。ヨーロッパ10チーム,南米4チーム,アジア・アフリカ・オセアニア合わせて1チーム,北中米1チームの本大会参加枠を決定。北朝鮮がイタリアに勝利し,ベスト8に進出(この活躍により,次の第9回大会からアジア・オセアニア大陸、アフリカのそれぞれに出場枠1ずつ)。ペレが負傷し,前回優勝のブラジルが予選リーグ敗退。エウゼビオ(ポルトガル)が9得点で得点王。イングランドの決勝での疑惑ゴール「ウェンブリー・ゴール」(ジェフ・ハーストがシュートしクロスバーに当たって跳ね返ったボールが本当にゴール・ラインを割っていたかどうか,大きな論議となった)。また,イングランド・チームには全試合をウエンブリーで戦うという,露骨な便宜が図られた。

日本は1964年の東京五輪でエース釜本邦茂を擁してベスト8進出。65年に日本サッカーリーグ発足。Wカップ予選は棄権。

第9回

1970(メキシコ)

ブラジル 4−1 イタリア

予選75か国。アフリカが本大会出場1枠獲得(モロッコ)。初めて選手交代が認められる。イエロー・カードとレッド・カードを導入。ラフプレーの沈静化。ミュラー(西ドイツ)が10得点で得点王。ブラジルがジャイルジーニョ,トスタン,ペレ,リベリーノという豪華な攻撃陣により優勝してジュール・ルメ杯の永久保有権を得たが,盗難により紛失し,発見された時には溶かされて金塊になっていた。ペレの最後の舞台。イタリアー西ドイツの準決勝では1対1で延長戦になり,結果的に4対3でイタリアが勝利した(つまり,延長戦で5点が入った)。

日本はアジア予選を勝ち抜き出場した68年のメキシコ五輪で銅メダル。Wカップ予選は釜本が肝炎で欠場したこともあり,一次予選敗退。

第10回

1974(西ドイツ)

西ドイツ 2−1 オランダ

予選98か国。「空飛ぶオランダ人」ヨハン・クライフを擁するオランダにより,グラウンドを激しく駆け回ってポジション・チェンジを繰り返す「トータル・フットボール」の到来。「皇帝」フランツ・ベッケンバウアーの登場。「ボンバー(爆撃機)」ゲルト・ミュラーの活躍。グジェゴシ・ラトー(ポーランド)が7ゴールを挙げて大会得点王。初めてレッドカードで退場(カルロスカセリ・チリ)。カラー映像によるテレビ放送の開始。

日本はWカップアジア・オセアニア地区予選準決勝で敗退。

第11回

1978(アルゼンチン)

アルゼンチン 3−1 オランダ

予選106か国。本大会参加国は16か国のまま。イングランド,ユーゴスラビア,ソ連は予選で敗退。ミッシェル・プラティニ率いるフランスが12年ぶりに本大会出場するも,1次リーグ戦で敗退。クライフ(オランダ)は政治情勢を理由にアルゼンチンへの渡航を拒否。マリオ・ケンペス(アルゼンチン)が6得点で得点王。

日本はWカップアジア・オセアニア地区一次予選で敗退。

第12回

1982(スペイン)

イタリア 3−1 西ドイツ

予選109か国。本大会参加国は24か国に(ヨーロッパ13か国、南米3か国、アフリカ2か国、アジア・オセアニア2か国、北中米2か国。これに開催国スペインと前回優勝国アルゼンチン)。1次リーグは4か国ずつ6つのグループで争われ、各グループの上位2チームが2次リーグに進み、2次リーグは3か国ずつ4グループに分かれ、各グループの1位チームだけが準決勝と決勝へ。パオロ・ロッシ(イタリア)が6ゴールで得点王。ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)が登場。

歴史に残る名勝負:準決勝 西ドイツーフランス(西ドイツがリトバルスキーのゴールでリード。プラティニのPKでフランスが同点。1対1後の延長では、フランスが3対1でリードしたが、西ドイツは猛反撃しルンメニゲ,フィッシャーが得点して同点とし、PK戦の末5−4で勝利を手にした)

日本はWカップアジア・オセアニア地区一次予選で敗退。

第13回

1986(メキシコ)

アルゼンチン 3−2 西ドイツ

予選121か国。開催が決定していたコロンビアの財政難により,メキシコで開催。1次リーグ後の試合が、すべてトーナメント方式に。モロッコがアフリカ勢として初めて本大会の1次リーグを通過した。マラドーナ(アルゼンチン)によるマラドーナのための大会となり,最優秀選手。リネカー(イングランド)が6得点で得点王。アステカスタジアムで行われた決勝戦は11万5千人の大観衆。

日本はロサンゼルス五輪にはニ次予選全敗で出場権を逃す。Wカップ予選はオセアニア地区がアジア地区と分離し,アジアに与えられた二つの出場枠が東と西に一つずつ振り分けられた。予選最終戦で韓国に敗退。

第14回

1990(イタリア)

西ドイツ 1−0 アルゼンチン

予選112か国。守りを固めた退屈な試合とPKによる勝利が多いという期待外れの大会だった。サルバトーレ・スキラッチ(イタリア)が6得点で得点王。決勝ではアルゼンチンが2名の退場者を出した上に,PKの誤審により涙をのんだ。カメルーンがアフリカ勢初のベスト8。ベッケンバウアーが西ドイツ監督。

日本はソウル五輪に出場できず。Wカップ一次予選で敗退。

第15回

1994(アメリカ)

ブラジル 0−0(PK 5−4)イタリア

予選147か国。観衆358万7,538人。アフリカの出場枠が3に増加。勝点方式の変更があり、勝ち=3,引分け=1,負け=0になった。ロベルト・バッジョ(イタリア)の登場。ドゥンガがブラジルのキャプテン。オレグ・サンレコ(ロシア)は60分で5ゴールの大会新記録。ワールドカップ決勝の歴史上初めてPK戦になるも,ロベルト・バッジョが外した。ストイチコフ(ブルガリア)とサンレコ(ロシア)が6得点で得点王。マラドーナは薬物検査で大会を追われ、米国戦でオウンゴールを入れてしまったコロンビアのアンドレアス・エスコバルが帰国後に射殺された。

日本は93年にハンス・オフト監督を迎え大躍進。アジアカップ優勝。93年5月に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)開幕。Wカップはアジアに2枠だったが,地区最終予選(93年10月28日)イラク戦でロスタイムに同点とされた『ドーハの悲劇』により予選3位。

第16回

1998(フランス)

フランス 3−0 ブラジル

予選172か国。本大会参加国は32か国になり,アフリカの出場枠が4に,アジアのそれが3に増加。日本が初出場。1次リーグは4チーム(1つのグループを除き、ヨーロッパから2か国、南北アメリカ大陸から1か国、アフリカまたはアジアから1か国という編成)ごとの8グループ制。64試合で171得点。ダボール・スケール(クロアチア)が6得点で得点王。アリエル・オルテガ(アルゼンチン),ティエリ・アンリ(フランス),マイケル・オーウェン(イングランド)の登場。ジタン(フランス)が活躍。

94年12月加茂周監督就任。Wカップアジア予選には過去最多の36カ国が参加。97年5月の日韓定期戦で中田英寿がデビュー。97年12月に岡田武史監督へ。マレーシアで行われたイランとの第3代表決定戦で,延長に岡野雅行がゴールデンゴール。

第17回

2002(日本・韓国)

ブラジル 2−0 ドイツ

予選195か国。本大会参加国32か国。それまで欧州と南北アメリカでのみ開催されていた本大会が初めてアジアで開催され、2国(日本と韓国)による「共催」という形が初めて採用された。「優勝候補」のアルゼンチン、ポルトガル、前回優勝国のフランスはそろってグループリーグ敗退。イタリアとスペインは決勝トーナメントに進んだものの、いずれも韓国の勢いとアウエーの雰囲気、不可解な判定で敗れた。準決勝に進出した4チームのうち、これまで一度も予選リーグを突破したことのない2チーム(トルコと韓国)が含まれていた。特に韓国のベスト4進出は、アジア勢では初の快挙。決勝にコマを進めたのは、大陸予選で大いに苦しんだブラジルとドイツだった。ロナウド、リバウド、ロナウジーニョの「3R」を擁するブラジルの快進撃に対し、ドイツはゲームメーカー・バラックの決定力と守護神カーンの堅守で何とか決勝までたどり着いたが、バラックが累積警告で出場できなくてはドイツに勝ち目はなく、ブラジルが5度目の優勝。ロナウド(ブラジル)が8得点で得点王。

トルシエ監督率いる日本代表は、前年に行われたFIFAコンフェデレーションズカップ2001準優勝の勢いのままに、Wカップ初戦のベルギー戦を劇的に引き分け、続くロシア戦で歴史的な大会初勝利を挙げ、第3戦のチュニジア戦にも快勝して夢の決勝トーナメント進出を果たしたが、宮城スタジアムでの1回戦でトルコに敗れてしまった。

第18回

2006(ドイツ)

イタリア 1−1(PK 5−3)フランス

予選194か国。前回大会優勝国の地区予選免除がなくなった。地区予選では「勝ち点が並んだ場合には、得失点差ではなく、当該チームの直接対決で上回った方が上位になる」であったが、本大会では従来の得失点差方式に戻された。本大会参加国32か国。前回大会躍進のアジア勢、米国は予選リーグで敗退し、波乱がほとんど起こらなかった。ベスト8はヨーロッパおよび南米のみで占められたが、ブラジル、アルゼンチンはベスト8で姿を消し、ベスト4はヨーロッパが独占した。地区予選で大苦戦していたフランスは、ジタン、マケレレなどの代表引退選手を復帰させて予選突破した。このため、代表選手の平均年齢が30歳で大会最年長となった。本大会ではベテランが尻上がりに調子を上げ、ジタンの統率力を中心に決勝まで進んだが、決勝戦でジタンがマテラッティ(イタリア)の暴言に怒り頭突きして退場になった。ジタンがMVPに輝き、大会前には「ロナウジーニョのための大会」といわれたが、結局は良くも悪くも「ジタンの大会」であった。ジタン、フィーゴ、カーン、ネドベド、中田英寿などの有力選手が、この大会限りで現役を引退。WC史上初めて、ハットトリックがなかった。クローゼ(ドイツ)が5得点で得点王。前回大会が誤審問題で揺れたことから、審判が試合中にインカムで連絡を交わすなどの改革があった。ジャッジが厳格になったことからカードが乱発され、予選リーグのクロアチアvsオーストラリアでは16枚のイエローカード、決勝トーナメント1回戦ポルトガルvsオランダでは4枚のレッドカードが出て、大会中の退場者総数28人となった。

ジーコ監督の日本代表はアジア予選を1位で通過したが、本大会ではクロアチアに引き分け、オーストラリア・ブラジルに負けて、予選リーグ敗退。

 

 

 

 

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