“フットボール・アレグレ 楽しいサッカー”とは何か?

■フットボール・アレグレの意味は、だれにとって楽しいかで変わってくる

 私のチームは“フットボール・アレグレ 楽しいサッカー”を目指している。日本代表のジーコ監督と同じだ。

 ジーコが何をもって“楽しい”と定義し、具体的にどんなサッカーを夢見ているかは分からない。フットボール・アレグレの意味は、だれにとって楽しいかによって、大きく変わってくるからだ。

 一般のファンにとって、楽しいサッカーとは点の取り合いだろうか。

 FCバルセロナ監督時代のヨハン・クライフは「1−0よりも4−3で勝ちたい」が口癖だった。先日のチャンピオンズリーグ準々決勝第2戦、マンチェスター・ユナイテッド対レアル・マドリー戦がこのスコアだった。ノーガードの打ち合いのようなゴールの応酬は、最高に楽しいショーだった。

 だが、私が監督なら楽めなかったに違いない。

 監督としての最高のやりがいは、ゲームプランとさい配が的中することにある。デル・ボスケ、アレックス・ファーガソン両監督とも大量失点には頭を抱えたことだろう。

 私は監督として、クライフほどショーマンにはなれない。4−3よりも2−0で勝つ、つまり最少失点かつ最多得点が私の目標だ。敵チームのファンを思いやる余裕は無い。私のチームのファンだけが楽しんでくれればいいと思っている。わがチームのゴールの歓喜を多く楽しんでもらい、失点のショックは避けること。歓喜とショックの差が大きければ大きいほど、私のチームのファンにとって楽しさが増すに違いない。

 だから、もし私がマンチェスター・ユナイテッドのファンだったら、4−3よりも2−0や3−1の方が試合を楽しめたと思う(結果的に準決勝進出できたかどうかは別にして)。

 

■選手にとって楽しいサッカーとは?

 コアなファンの中には、0−0や1−0の試合も楽しいという人がいる。堅牢な守備戦略・戦術と攻撃戦略・戦術のせめぎ合い、その中での選手の機能的な動き、献身的な働きこそ感動を覚えるという層だ。その気持ちは分からないでもない。私も監督として、例えばユベントスの守備戦術は興味深く、参考になる。が、私の理想とする、“フットボール・アレグレ 楽しいサッカー”とは違う。

 なぜなら、私は選手にとっても“楽しいサッカー”を目指しているからだ。

 では、選手にとってはどのようなサッカーがプレーしていて楽しいのだろうか?

 ジダンやラウールに尋ねてみる訳にはいかないが、私のチームの子供たち(10〜11歳)を観察していればよく分かる。彼らはボールを触るのが大好きだ。ボールさえ与えておけば勝手に遊んでいるし、ボールを取り上げれば怒る。プロの選手だって11歳の時には同じだったろう。小学生のジダン君もラウール君もマルディーニ君も、時間を忘れてボールと戯れる日々を過ごしていたと思う。それに子供はゴールするのも大好きだ。つまり、ボールタッチが多くゴールの機会が増えるような戦い方が、彼らにとっては“フットボール・アレグレ”となる。守備に重きを置いたサッカーは子供には楽しめない。

 とはいえ、ボールを与えて勝手にやらせるのが“フットボール・アレグレ”ではない。 なぜか? 答えは簡単、そんなアナーキーなチームでは連戦連敗に終わるからだ。子供だってプロだって負けて楽しい訳がない。

 システム、ポジショニング、攻撃の仕方、守り方を、まず個人レベルで浸透させ、次にそれらを数人のコンビネーションプレーに高め、最後にチーム全体が一つの意思を持って動くようにする。

 例えば、わがままにドリブル突破しようとするロナウド君を「こらお前、パスせんか! 後ろを見ろ、ラウール君とグティ君がフォローしてるだろ!」としかりつけ、1対1で突破するより、2対1で突破する方がはるかに簡単で確率が高いことを頭で理解させる。次に、ボールを体で守る方法、フリースペースへの見つけ方、ボールを持たない選手の動き方、オーバーラップの仕方、パスを出すタイミング、壁パスのやり方など、コンビネーションプレーを体に覚えさせる。

 こうしてロナウド君はドリブルの足を止め、周りを見てパスを出すことを覚える(もちろん周りにサポートプレーヤーがいない場合は、個人技での突破を狙わせる)。彼だけではなく、チーム全体がリスクの大きい個人技での突破ではなく、確実性の高いコンビネーションプレーを選択することによって、チーム力は確実に上がる。戦略・戦術的に鍛えられたチームとは、チーム力が「個人の能力×11」をはるかに上回るチームのこと。攻守にわたって、不安定な個人技ではなく安定した集団の技術を選んで、より確実なプレーをするチームのことを言う。

 

■レアル・マドリーのサッカーを子供に押し付けるわけにはいかない

 この戦略・戦術については、もう少し具体的に見ていこう。

 レアル・マドリーのサッカーは見ていて楽しい。あれを“フットボール・アレグレ”の見本とするのはどうか? 守備より攻撃に比重が置かれてゴール数が多いし、ボール支配を目指してタッチ数も多い。“楽しいサッカー”の条件をすべて満たしているかに見える。

 しかし、あの戦い方をわがチームに導入する訳にはいかない。なぜなら、楽しんでいる選手と苦しんでいる選手がいて、後者があまりにかわいそうだからだ。

 楽しんでいる選手とは、ロナウドやジダン、ラウール、フィーゴ、ロベルト・カルロスのこと。苦しんでいる選手とは、特にマケレレとフラビオ、次にイエロ、エルゲラ、ミチェルのこと。守備の意識が低いロナウドら5人のせいで、マケレレ以下5人は右へ左へ走り回り、スライディングタックルをし、足を引っ掛け、シャツを引っ張るなど、汚れ役に徹することを余儀なくされている。プロだからいいが、もし11歳の子供だったら、だれがそんな役を押し付けることができるだろう。

 この「攻撃する人」と「守備をする人」にチームが分断されていること、攻撃の約束事(=戦略・戦術)が少なくタレントのひらめきに頼り過ぎていることは、レアル・マドリーの欠点であるし、私が彼らを自分のチームの見本にしない理由でもある。

 少年サッカーでは、能力の高い子供だけをプレーさせる訳にはいかないし、特定の子供を一つのポジションに固定したり、守備または攻撃に専従させるのは、子供の可能性を奪い、成長を阻害することにもなりかねない。

 

■ジーコのサッカーは、レアル・マドリー似? デポルティボ似?

 もっと子供たちにとって魅力的で、楽しいサッカーはないだろうか――。そう考えながらスペインリーグを眺めていて出会ったのが、デポルティボ・ラコルーニャやバレンシアのサッカーである。

 レアル・マドリーとの違いは、一言で言うと攻撃でも守備でも戦略・戦術的に鍛えられていることだ。

 デポルティボ・ラコルーニャでも、バレンシアでも、考え方の基本は、全員での攻撃、全員での守備。「攻撃する人」と「守備をする人」という役割分担が、ボールの位置や試合の状況によって刻々と変化する。サイドバックだけでなくセンターバックも攻撃参加するし、フォワードも積極的に相手ボールを追う。ポジションチェンジも頻繁に行われる。調子のいい時の両チームは、抜かれても抜かれても、止めても止めてもフォローするプレーヤーが次々と現れて、12、3人でプレーしている印象を受ける。

 戦略・戦術はとかく子供の想像力と創造力を奪うかのように非難されるが、これは一面的な見方だ。

 確かに、守備または攻撃に専従させ、単調な役割を強いるような戦略・戦術は、子供に悪影響を与えるに違いない。デル・ボスケ監督だって小学生にはあんな戦い方を要求するはずがない。

 が、状況によって攻撃と守備の役割分担を替え、ポジションチェンジを要求するような戦略・戦術は、逆に子供のインテリジェンスを刺激し、想像力と創造力の育成にプラスになると思う。早い話、デポルティボ・ラコルーニャやバレンシアのようなサッカーするには、頭の良い選手でなければ無理だ。

“フットボール・アレグレ、楽しいサッカー”とは、選手を戦略・戦術の束縛から解放し、個人能力を発揮させる戦い方のような先入観がある。実際、ジーコ監督もそんなふうなことをコメントしているらしい。

 だが、私のチームの場合はその正反対。戦略・戦術を徹底させることによって、子供を歯車から解放する。そうして個人能力を伸ばすと同時に、全員が攻撃にも守備にも参加するヒーローをつくらないサッカー、それが私流の“フットボール・アレグレ”。

 ジーコ流はレアル・マドリー似だろうか? それとも、デポルティボ似だろうか?

 

木村浩嗣/Hirotsugu KIMURA

スペイン・サラマンカ在住。98年、99年とスペイン・サッカー連盟のコーチライセンスを2年連続で取得。レアル・マドリーやバルセロナのベンチ入りもできるセミプロまでの資格を得る。現在は、地元のサッカー学校「ナベガ」で少年チームを指導中。スペイン・サッカー連盟カスティージャ・レオン州監督委員会員

03/5/14

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/spain/column/200305/0514kimu_01.html

 

 

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