夏季オリンピックサッカー競技 を知ろう

 

夏季オリンピック大会におけるサッカー競技は、男子競技と女子競技が行われており、そのうち男子については1908年のロンドン大会から正式種目となり、1932年のロサンゼルス大会を除いて毎大会実施されている。また、女子については1996年のアトランタ大会から実施されている。

 

概要

 オリンピックの創成期においても、既にサッカーは世界的にもメジャーなスポーツの一つとなりつつあった。第1回大会となる1896年のアテネ大会から既に非公式に試合が行われている。又、1900年のパリ大会、1904年のセントルイス大会 、1906年のアテネ中間大会で公開競技として行われた。1908年のロンドンオリンピックから正式種目に加えられた。サッカー競技で初めて金メダルを手にしたのは開催国である「イギリス代表」であった。

サッカーとオリンピック

 サッカーがオリンピックの公開競技として始まった19世紀から20世紀への世紀転換期に於いて既にイングランドではプロフェッショナルの選手が当たり前の存在となり、この影響を受けて他のヨーロッパ諸国でも実質的なプロフェッショナルプレーヤーが誕生しつつあった。更に正式種目として採用された1900年代末には、ヨーロッパ各国でこうしたプロフェッショナル化へのアマチュア側の最後の反抗が試みられていた時期に当たっていた。そのためサッカーと、あくまでアマチュア主義に固執する国際オリンピック委員会(IOC)の関係は決して良好なものではなかった。また、従来あったサッカー組織と、各国別にオリンピック委員会を組織しそれに基づいて出場すると言うオリンピックとはいくつか矛盾する点が見られた。こうしたサッカーとオリンピックの矛盾を最も蒙ることになっているのがイギリスである。イギリスは、正式種目にサッカーが加わった1912年の時点で、オリンピックのアマチュア規定を守った上で、最強のナショナルチームを組織することは既に事実上不可能であった。また、イギリスでは、1972年のミュンヘンオリンピック以降、オリンピックサッカー代表を組織することすら出来なくなってしまった。

大会の位置づけ

 オリンピックのサッカー競技に対する位置づけは、男子と女子でその捉え方に若干の違いが見られる。 女子サッカー競技は、女子ワールドカップに並ぶ権威ある大会として扱われ、オリンピック自体の注目度を利用して国際サッカー連盟(FIFA)も女子サッカーの普及のために大会に対して概ね協力的である。 これに対して男子サッカー競技は、FIFA U-20ワールドカップとワールドカップの間の中途半端なカテゴリとして捉えられることが多い。アジア・アフリカ・北中米カリブ・南米の諸国は若年層の強化、あるいは五輪という大会のステータスを重視して力を入れることが多いのに対し、欧州では同年に欧州選手権があることも関係し、年齢制限つきの大会であるオリンピックサッカーへの注目度は極めて低い。また、シーズン開幕直後の時期の怪我や疲労を恐れ、所属する選手を五輪に出場させることに消極的なクラブも多い。特に優秀な選手を抱える欧州のビッグクラブではそれが顕著であり、ベストメンバーを揃えられないサッカー協会は少なくない。FIFAは男子サッカーに代わってフットサルの採用や、年齢制限を19歳以下にして行うことの検討、IOCへの提案を行っているが、IOCは収入が見込める競技の一つである男子サッカーを手放すことには難色を示している。

歴史

 サッカーが公式な競技として採用されたのは1908年のロンドン大会からであるが、1896年のアテネ大会から既に非公式に試合が行われており、アテネのチームがトルコのチームと、さらにこれに勝ったトルコのチームがスウェーデンのチームと試合を行った。 パリ、セントルイス、及びアテネでの中間大会では、公開競技としてサッカーが行われた。ただしこれは決してシステマティックなものではなく、急ごしらえのチーム同士で試合を行っていた。一部のチームには外国人の選手が混じっていた。1906年にはデンマークがアテネのチームを9-0で下して勝ったと言う記録が残っている。1908年のロンドン大会からサッカーは正式種目に加えられ、この大会と続く1912年のストックホルム大会では既にアマチュア規定下では、最強チームを編成できなかった「イギリス代表」が、なんとかサッカー発祥の地の面目を保って優勝することが出来た。 1930年にワールドカップが始まり、徐々にその権威が高まっていくと、FIFAはアマチュアだけに出場資格が認められたオリンピックに対して、段々と興味を持たなくなるようになっていった。1932年のロサンゼルス大会では完全に種目から抜け落ちたのにはこうした背景がある。第二次世界大戦後には、FIFAがアマチュア主体のオリンピックからプロフェッショナル主体のワールドカップに完全にその軸足を移すようになった。こうしたアマチュアとプロフェッショナルのギャップを突いてオリンピックでの強豪国として登場してきたのが、ソビエト連邦を初めとする共産主義国家、いわゆる「東側諸国」である。東側では、報酬を国家から貰い、競技に専念できる環境が整えられながらも、身分は国家公務員=アマチュアとして維持できるステート・アマと言う形態が常態化しており、プロを送り込めず「アマチュア選抜」で臨む西側諸国に対し、ほぼA代表に等しい編成で代表チームを参加させることができた。こうした東側の国々が1952年から1980年まで、8つの金メダルを独占した。この期間それ以外のメダルも、デンマークの銀が1回、銅メダルはスウェーデンと日本が1回ずつと、ほぼ全てのメダルを東側が独占的に手に入れる時代に突入した。なお、1968年メキシコ大会における日本の銅メダルはアジア勢唯一のメダル獲得である。 こうした状況に変化をもたらしたのは、1984年のロサンゼルス大会でのIOCによるプロ参加の容認であった。これは当時のオリンピックにおけるプロ解禁と言う潮流の一環であったが、これはFIFAとIOCの間に新しい対立を引き起こした。すなわち、ワールドカップと言う大会の威厳とプレミアを守りたいFIFAと、集客性に富んだサッカーの充実を図りたいIOCの利害の対立である。ロサンゼルス大会では、ヨーロッパ、南米のチームではワールドカップに出場したことのある選手はオリンピックに出場させないという妥協点に落ち着いた。結果として各国のオリンピック代表チームは非常に若い年代で構成されたチーム編成となり、後の年代別代表の一環としてのオリンピック代表の原型が形作られた。 1992年のバルセロナ大会からは、現在まで続く23歳以下の規定が導入された。これによりオリンピックにおけるサッカー競技はU-17世界選手権、ワールドユースに続く、年代別世界選手権の一環として再編成されることになった。

 

男子競技

 オリンピックにおける男子サッカー競技に関する現行のフォーマットは以下のようになっている。

1. 出場資格

オリンピックにおけるサッカー競技に出場する選手には年齢制限が設けられている。規定ではオリンピックが行われる年の1月1日時点で23歳未満の選手に出場権がある。したがってオリンピック代表のことをしばしばU-23代表と言い換える場合がある。大陸別予選でも本大会への出場が可能な選手でチームが構成される。予選が本大会の前々年から始まる場合は21歳未満の選手に、本大会の前年から始まる場合は22歳未満の選手に出場権が与えられる。これに合せてこれらの代表をU-21代表U-22代表と呼ぶ場合がある。これらはU-23代表と併せて、いずれもオリンピック代表であると理解して相違ない。

2. 予選

 各大陸別に予選を行う。FIFAワールドカップと異なり出場枠は一定で、出場枠の予選の方式は各大陸のサッカー連盟に方法が一任されている。このため予選の方法が毎回変わることがある。 ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)はU-21欧州選手権に五輪の予選を兼ねさせている。U-21の名称は予選開始時のレギュレーションによるものであり、予選開始から2年後の本大会では五輪と同じく23歳以下の選手による大会となる。イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4協会が出場権を獲得した場合は、それ以下の順位の国が繰り上がりで出場権を獲得する。2004年のアテネオリンピックまではU-21欧州選手権の本大会と五輪の開催年が重なっており、本大会を戦った選手がそのまま五輪に出ることが多かった。しかし2006-07年大会からはW杯と五輪の中間年にU-21欧州選手権本大会が開催されるため、本大会を23歳の時に戦った選手は翌年の五輪にはオーバーエイジで加入しない限り出場できない。 開催国を勘案しない各大陸別のオリンピック出場枠は以下の通りである。

  • ヨーロッパ 4
  • アフリカ 4
  • アジア 3
  • 南米 2
  • 北中米カリブ海 2
  • オセアニア 1

 ワールドカップで行われるような大陸間プレーオフは普通は適用しないが、2000年のシドニーオリンピックではオーストラリアが開催国であったために、オセアニアの出場枠が0.5、アフリカを3.5枠としてプレーオフを実施した。2008年の北京オリンピックではアフリカから1枠を開催国枠として中国に与え、アジアの3枠は維持されている。

 

女子競技

オリンピックにおける女子サッカー競技に関する現行のフォーマットは以下のようになっている。

1. 出場資格

 女子には年齢制限が無い。嘗て男子競技に制限として設けられた、ワールドカップに出場した選手はオリンピックに出場できないと言う制限も設けられていない。参加国数はFIFA女子ワールドカップより少ない。

2. 予選

 2004年のアテネオリンピックから、男子同様に各大陸ごとの予選により選出されることになった。その方法は各大陸のサッカー連盟に一任された。 開催国を勘案しない各大陸別のオリンピック出場枠は以下の通りである。

  • ヨーロッパ 4
  • アフリカ 1
  • アジア 2
  • 北中米カリブ海 2
  • 南米 1
  • オセアニア 1

 

フリー百科事典『ウィキペディア』より

 

 

 

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