ヤタガラスの子供たち

38回 中村俊輔から得た教訓

2004年11月17日

 「経験上、高校2年の夏頃を過ぎると、プロになれるかどうか分かってくるけど、この年代(中学3年から高校1年)は誰が伸びるか分からない」U−16日本代表を率いた布啓一郎監督の言葉だ。確かに中学時代まったくの無名だった選手がプロとして活躍する一方で、ジュニアユース代表の常連だった選手がいつのまにか消えていってしまう例は多い。

 

 「中学生を見極めるのは本当に難しい。ジュニアユースからユースに昇格させる時、どうしたってボーダーのやつは出てくる。コーチの半分は手を挙げるけどもう半分は…みたいな、ね」横浜Fマリノスの育成・普及部門を束ねる下條佳明氏もそう苦笑する。

 横浜Fマリノスではユースの1学年は12〜3人で構成されるが、新子安と追浜という2つのジュニアユースチームを抱えているため、昇格の門は非常に狭い(横浜フリューゲルスとの合併により3チームある時期もあった)。しかもその少ない枠に外部からスカウトしてきた選手も加わるのだから、大半の選手が他のチームに進まざるをえなくなる。

 その中でどうやって昇格選手を選ぶのか。「下(ジュニアユース)の指導者は心情的に『全員上げて欲しい』となるから、ユース主導で選ぶ」のがまずは基本。ただし「普段から練習を見ている下の指導者からの『こいつは可能性があるから』という意見で、一芸に秀でたやつも上げるようにしている」らしい。

 

 こういう方針にたどり着いたのもおそらく、あの選手の教訓があったからに違いない。「横浜Fマリノスジュニアユース出身ながらユースに昇格できず、しかし一芸には秀でていた選手」─こう聞いて誰もが思い浮かべるであろうあの選手。そう、中村俊輔だ。中学2年時には試合に出ていながらも、中学3年になると成長期を迎えた他の選手にポジションを奪われ、なかなか試合に出られなくなった中村は、ユースに昇格できず桐光学園に進むことになる。「当時は今と違って上に上げる明確な基準がなかった。当時のコーチも『背が小さいから…』ということを考えたんだろう」と下條氏はわずかに後悔の色をにじませながら振り返る。

 「俊輔は試合に出ないでベンチにいるから、僕たちスタッフと後ろでボール回ししたりしてよく遊んでいたんだけど、その時から『こいつスゲー選手だな』と思っていた。足は速くないし体も小さかったけど技術は飛び抜けていた」もし中村が今の横浜Fマリノスジュニアユースに所属していたら、間違いなく昇格しているだろう。

 

 「いまは中学生をどうするかがテーマで、ジュニアユースは(新子安も追浜も)1学年20人くらいいるけど、もっと多くの選手を見たいと思っている。高校で他のチームに行ってもいいんです。高校や大学、他のクラブなど、どこで成功するかは分からないし、マリノスに限らずサッカーを続けてもらえれば…。プロになるには素質もあるけど最後は運。その運をつかませてやるところまでは持っていってあげたい」(下條氏)。

 次の中村俊輔が横浜Fマリノスユースから生まれるのか、それとも他のチームで花開くのか─どちらにしても日本サッカー界の宝物となることに変わりはない。

 

 

著者: 川腰 亮(かわごし りょう)氏

 1977年1月13日、神奈川県生まれ。2000年、報知新聞社入社。編集局電子メディア室編集部勤務。小学生時代は野球クラブ、中学、高校、大学ではバスケット部に所属。昨年からフットサルを始めたが、全然、上達しない。「子供の頃からサッカーをやっていれば…」と、いまでも悔やんでいる。

 

http://www.hochi.co.jp/html/column/youth/2004/1117.htm   04/11/17

 

 

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