一流を育てる

 

 

「放任」でフランス倒す

W杯代表監督【1】セネガル…ブルーノ・メツ氏(48)

 「知っているかい? セネガルは、アフリカ諸国のなかでは例外的に、内戦やクーデターをほとんど経験したことがない平和な国なんだ」

 ことし3月、フランス人のセネガル監督、ブルーノ・メツと対談した冒頭で、彼はこんなことを言った。日本代表が、セネガルと対戦したのは昨年10月。場所はフランス北部のランス。0−2という結果だけではなく、内容でも凌駕(りょうが)された。

 「アフリカのチームにしては、調和のとれた組織プレーだな……」

 ボクは、その高質なサッカーに圧倒された。だから、彼の話を聞きに行った。

 今大会の前に注目されたアフリカ勢は、個人技で有名なカメルーンとナイジェリアだ。それに対しセネガルは、エジプトやモロッコというアフリカの強豪を抑えてW杯予選を突破したとはいえ、まだまだ未知の存在だった。ただボクは、あの日本戦を見て確信していた。

 「彼らは、今回のW杯で、センセーショナルな世界デビューを果たすに違いない」

 ことし1月から2月にかけ、マリ共和国であったアフリカ選手権。準決勝で、スター軍団のナイジェリアを退けた。決勝では、「0−0」の末のPK戦で、カメルーンに惜敗したが、「内容」では確実にセネガルに軍配があがっていた。メツが、01年度のアフリカ最優秀監督に選ばれたのも当然だった。

 そして迎えたW杯開幕戦。前回の覇者フランスに押されながらも、なんと、1−0で勝利をおさめた。身体的能力はもちろん、テクニックや戦術理解など、個人的な能力は十分に高かった。攻撃の「組み立て段階」では、素早く、広くボールを展開するなど、組織的にも傑出したプレーを見せた。「組織プレーと個人プレー」が美しいハーモニーを奏でるサッカーだった。ボクは目を奪われた。センセーションの序章である。

 監督のメツは言う。

 「選手たちは対話を重視するんだよ。話し合うなかで互いの合意点を見いだし、誠実に守ろうとするんだ……」

 対話を成立させるには、まず相手の話を聞けなければならない。彼らには、その精神が「歴史的」に備わっているというのが、メツの見方だ。

 たしかに彼らのプレーは、味方のミスや冒険プレーを積極的にカバーし合う「相互補完マインド」にあふれている。

 イレギュラーするボールを、足で扱う。瞬間的に状況が変化してしまう。そんな不確実性要素が満載されたサッカーだからこそ、選手たちは、常にリスキーなプレーにもチャレンジしなければならない。そこで「逃げ」たら、進歩など望むべくもない。こんな戦いの現場では、味方同士のバックアップ姿勢が大事だ。「アイツは勝負にいった。オレは乗り遅れたからバックアップに回ろう」といった互いの相互補完マインドである。それこそが、不確実なサッカーで成功を収めるカギを握る。

 「ところで、あなたは監督としてどんなタイプだと思う? 専制か民主、それとも放任タイプかい?」。ボクの質問に、メツは「オレは……、放任だと思うよ」と、一言。

 もちろん放任とはいっても限度がある。そこには、「外」には絶対に見えてこない、ハイレベルな「心理マネジメント」が隠されている。それぞれの生活文化に根ざす精神のポジティブな部分を巧みに活用し、発展させる。それこそ監督の手腕の本質なのである。

 「オレは放任」の一言に、監督としての深い自信を感じた。それは、選手たちの「相互補完マインド」を引き出し、W杯初出場をつかみ取った自負の表れでもあった。それを、フランス戦で形にしてみせた。

 今大会でセネガルが巻き起こし始めたセンセーション。その渦が拡大していくようすが見えてくるではないか。

2002.6.8 Asahi.com  サッカーコーチ・湯浅健二 氏

 

 

創造的破壊が育む自信

W杯代表監督【2】日本…フィリップ・トルシエ氏(47)

  日本代表のワールドカップ(W杯)がはじまった。ベルギー戦での、吹っ切れた闘いの末に「勝ち取った」2−2のドロー。それにつづきロシア戦では、1−0でW杯の初勝利までももぎ取ってしまう。彼らは「肉を切らせて骨を断つ」という世界との勝負で、立派な、本当に立派な闘いを展開した。

 彼らがどこまで行けるか、わからない。それでも最後まで、われわれに元気と誇りを与え続けてくれることを、この時点で確信している。

 日本代表は強くなった。いや、というよりも、どんな相手と対峙(たいじ)しても、少なくとも持てるチカラを存分に発揮できるようになったとする方が、正しい表現だろう。攻守にわたって積極的に自分から仕事を探し、それを、自らの判断、決断に基づいて、勇気をもって実行できる。だからこそ、常に、立派な闘いを繰り広げられるようになった。

 ベルギー戦での1−1からの勝ち越しゴール。それは、稲本潤一が、パスを受けたベルギー中盤の王様、ウィルモッツにアタックを仕掛け、ボールを奪い返したところからはじまる。弾かれたボールは、戻ってきていた柳沢敦の足元へ。この瞬間、稲本は意を決したのだった。

 「柳沢がもどってきたから、前線にスペースができている。そこだ!」

 そのまま最前線へ走り上がる稲本。そして、柳沢のタテパスから、迷わずドリブル勝負を仕掛けてゴールを決めた。稲本ではじまり、彼自身がフィニッシュした、得も言われぬ美しいゴール。それは、日本代表の成長を象徴するシーンであり、それをキッカケに、彼らのプレーに勇気あるダイナミズムが充満していったと感じた。

 そのダイナミズムは、ロシア戦へと波及する。そこでも、中田浩二からの素晴らしいタテパスを起点に、またしても柳沢がダイレクトで流して、稲本が狙い澄ました右足での決勝ゴールを奪う。その後はロシアの猛攻にひるまず、最後まで「自分主体」のプレーで守りきった。

 いままで技術や戦術のレベルが、世界と比べて極端に劣っていたわけではない。ただ、フィリップ・トルシエが就任する前の日本代表は、国際試合では、持てるチカラを出し切れることはまれだった。しかし今は、どんな相手にも、気後れすることのない闘いを挑んでいけるようになった。それは、選手たちの「自信レベル」が大きく深化したからにほかならない。

 自らを信ずる心。それは、冒険にトライすることでしか深めることはできない。特に足でボールを扱うという、次に何が起きるか予想もつかない不確実な要素が満載されたサッカーではなおさらだ。安全なプレーに「逃げ込む」のではなく、危険因子が多いプレーにも積極的にチャレンジする。そのことによってのみ、殻を破り、一歩先へ進むことができるものなのだ。

 もちろん彼らは、その過程で何度もミスを繰り返した。でもそれは、前向きな失敗なのだ。そのことを通して学習し、だんだんと世界に対する自信を深化させていったのである。

 選手たちのプレーを、消極的な守りの姿勢から、積極的、攻撃的に変容させていったトルシエ。ボクは、そのことが、彼のなしたもっとも大きな功績だと思っている。

 彼を、優れた「心理マネジャー」と呼びたい。極限の「刺激」を与えつづけることで、闘う集団には欠かせない緊張感をかもし出す。また同時に、リラックスした雰囲気も演出する。そんな抑揚のあるプロセスを経て成長した今の代表チームからは、組織目的を強烈に意識する、調和のとれた「個人事業主」の集団といった雰囲気すら感じられるようになった。

 トルシエは、サッカーにとってネガティブな体質を否定し、自分主体でプレーすることの本質的な意味を知らしめた。そして彼らを、闘う集団へと発展させた。「創造的な破壊者」。彼にはその称号がふさわしい。

2002.6.15 Asahi.com  サッカーコーチ・湯浅健二 氏

 

 

フランスはなぜ負けた

W杯代表監督【3】フランス…ロジェ・ルメール氏(61)

今大会で、絶対的な二強と見られていたフランスとアルゼンチンが、まさかの1次リーグ敗退を喫してしまった。

 「本当に驚いたよ。でも、今の彼らのサッカーの内容ではな……」

 大会を視察にきている、友人のドイツ人プロコーチが話していた。

 世界ランキング1位のフランスと、2位のアルゼンチンは、欧州のエキスパートたちから、今大会を制する最有力候補に挙げられていた。

 その根拠は、堅実な守備と、特に、組織プレーと個人プレーの美しくバランスの取れた攻撃にある。あれほどの天賦の才に恵まれた強者たちが、組み立てでは、シンプルなパスプレーに徹する。もちろん、「個」のエスプリを誇示しながら。

 そして、相手の人数がたりない「守備の薄い部分」へ素早くボールを動かし、ドリブルや鋭いコンビネーションプレーなど、たぐいまれな才能で最終勝負を挑んでいく。世界中が、そのプレーに酔い、そして恐れた。

 だが、本大会の直前になって、そんな彼らのプレーリズムが大きく乱れてしまう。それは、ボールの動きを司(つかさど)る演出家ともいえる、中盤に君臨する絶対的なリーダーを失ってしまったからだ。フランスでは、言わずと知れたジダン。そしてアルゼンチンでは、ベロン。

 ジダンは、大会直前の韓国とのトレーニングマッチで負傷し、ベロンはリーグ戦でのけがが癒(い)えず、ベストコンディションとはほど遠い状態だった。ジダンは、最初の2試合に欠場し、ベロンは途中交代をくり返した。

 フランス監督のルメール(61)。アルゼンチン監督のビエルサ(46)。ともに一流のチームを率いる一流の指導者である。

 98年のW杯フランス大会で初優勝したあと監督になったルメールは、「W杯の優勝国は勝てない」というジンクスを打ち破って、00年の欧州選手権に勝ち、01年のコンフェデレーションズカップも制した。

 ビエルサは無名選手から27歳で指導者に転身。卓越した分析力を武器に98年、43歳の若さで異例の代表監督に就任した。

 華麗な戦績を誇る両監督は、今回の司令塔不在に、どう対応したのだろうか。結論から言えば、結局は「代替」を見いだすことはできなかった。

 サッカーは、有機的なプレー連鎖の集合体である。すべてのプレーが、共通のイメージという糸でつながっていなければならない。

 糸を操る演出家は天才だが、決してエゴイスティックなプレーはせず、チームプレーに徹する。だからこそ、チームメートたちからも絶対的に信頼され、彼らを中心に美しいリズムが奏でられる。

 その演出家の「不在」が、両国のサッカー内容に暗い陰を落としたのである。そして選手たちが、リズムを欠いた個人プレーに奔(はし)っていった。

 フランス中盤の絶対的なリーダーであるジダンの代わりに、その重役を任されたのはジョルカエフだった。彼にとって、トレゼゲ、ビルトルドらとともに魅惑的なコンビネーションを作り出すには荷が重すぎた。

 ルメールらの苦悩を想像するに難くない。才能に恵まれた選手たちを多く抱えているからこその悩み。そんな選手たちのチームプレーに対するマインドを、ハイレベルに安定させるのは難しい作業なのだ。

 1人でも、本当に1人でもエゴプレーをしたら、そのネガティブビールスが、すぐにチーム全体に伝染してしまう。

 それが、味方から畏敬(いけい)の念をもたれるたった1人の中盤リーダーの重要性を如実に物語る。

 「組織と個」の微妙な均衡の上に立つ「生き物」とも表現できるサッカーチーム。

 ルメールも、一度崩れたバランスを立て直すことはできなかった。サッカーはピッチで起こったことがすべてであり、そのことだけで判断される。

 世界のサッカー界は、彼らの失敗が示唆するサッカーの本質的な部分から多くのことを学んだに違いない。

2002.6.22 Asahi.com  サッカーコーチ・湯浅健二 氏

 

 

逆境から団結引き出す

W杯代表監督【4】ドイツ…ルディ・フェラー氏(42)

 「ドイツ代表よ、オマエたちは、ワールドカップへいくには愚かすぎる!」

 ワールドカップ(W杯)欧州予選の最終日(01年10月6日)。格下フィンランドとの勝負に無様な内容で引き分けたドイツ代表に対し、大衆紙が大見出しを掲げた。ドイツは、長い歴史のなかで初めて、ウクライナとのプレーオフに臨まなければならなくなったのだ。

 「結果的には、予選全体の流れがポジティブに作用したということだろうな。選手たちが、危機感をもったからな……」

 後に、友人の現ドイツ代表コーチ、エアリッヒ・ルーテメラーが、そう言っていた。

 地域予選の序盤では順調にトップを走っていたドイツ代表だが、ホームで、イングランドに「1−5」というスキャンダラスな大敗を喫したころから雲行きが怪しくなる。そして前述したフィンランド戦での低調なサッカー。また、創造性リーダーであるショルやダイスラーの復帰も、まったくめどが立たない。追い込まれたドイツ代表は、そこで吹っ切れた。

 ルーテメラーが語る。

 「地域予選の最初のころ、結果だけは順調だったけれど、内容は決して満足できるものじゃなかった。だからこそ逆に、現実を直視させるいい機会が訪れたと思ったんだ。ルディは、ここぞとばかり、とことん話し合ったというわけさ」

 ドイツ代表監督、ルディ・フェラーほど華麗な経歴を持つ代表監督も珍しい。欧州各国のプロリーグでFWとして活躍。W杯86年、90年、94年大会に3大会連続出場し、6得点。しかも86年準優勝、90年優勝。00年7月、ドイツ監督に就任した。

 フェラーは、選手たち一人ひとりとの深いディスカッションを通して「現実」と向き合わせ、心理的なバランスを整えていった。そしてプレーオフの第2戦では、試合開始15分で3点先制する4−1という圧倒的な内容でウクライナを下し、13大会連続、15回目の本大会への切符を手にすることになる。

 ただその後、ショルやダイスラーの復帰を諦(あきら)めなければならなくなっただけではなく、最終守備ラインの重鎮ノボトニーまでもけがで失ってしまう。

 「そんな状態だから、オレたちはあまり注目されていなかったんだ。それがよかったんだよ。落ち着いてチーム作りができたからな」

 ルーテメラーの言葉通り、ドイツ代表は、創造性には欠けるが、抜群に勝負強いソリッド(堅実)なサッカーを展開するようになる。選手たちは、いまの自分たちのチカラでは美しいサッカーは無理だし、常に全力で闘わなければ勝てない現実を心底、理解したから、ひとつの組織として忠実にプレーしようという前向きなマインドも強化された。

 攻めに変化をつける才能ある演出家はもういない。だからこそ強固な守備を基盤に、正確なクロスと中距離シュートなどで、ターゲットを絞り込んだ攻めを展開するという統一されたピクチャーで試合に臨む。そう結束したときのドイツは無類の強さを発揮する。

 チームをおそった危機を、千載一遇のチャンスとして逆に活用してしまう。まさに、脅威と好機は表裏一体。フェラーとコーチングスタッフの確かでしたたかな経験とウデを感じる。

 今大会、ドイツ代表は、苦しみながらも、決勝トーナメントを勝ち進んだ。最終的な結果はどうあれ、吹っ切れた彼らのことだから、相手が強くなればなるほど、そこで陥るに違いない苦境が厳しければ厳しいほど、よりソリッドなサッカーを展開していくことだろう。ベンチの優れた心理マネジメントに引っ張られながら。

 ボクにとって第二の故郷ともいえるドイツ。どうしてもナイーブになってしまうのだが、冷静に考えてみても、その確信が揺らぐことはない。

 もうひとつのフェラーの仕事といえば、今大会において誇示した存在感という心理ベース(自信と確信)を、25歳以下のケール、メツェルダー、バラック、クローゼらを中心にした次の世代へ継承していくだけだ。

 そう、06年ドイツW杯へ向けて……。

2002.6.29 Asahi.com  サッカーコーチ・湯浅健二 氏

 

 

戦術貫いて勝ち抜いた

W杯代表監督【5】ブラジル…ルイス・フェリペ氏(53)

 「嬉(うれ)しい……。我々は、個人のチカラで、ドイツの組織をうち破った」

 決勝戦後のインタビューで、ブラジル監督のフェリペがしみじみと語っていた。それは、才能ある選手たちを多く抱えることが、監督にとっていかに「両刃の剣」であるかを如実に物語っていた。

 「才能集団ブラジル」と「職人集団ドイツ」が激突したワールドカップ(W杯)決勝。ブラジルが2−0で5度目の優勝を果たした。しかし、個人的な能力ではブラジルが凌駕(りょうが)しているにもかかわらず、実際には薄氷を踏むゲーム内容だった。フェリペの言葉には実感がこもっていた。

 ブラジルは様々な紆余曲折(うよきょくせつ)を経て決勝まで駒を進めてきた。彼らのイバラの道がスタートしたのは、00年3月28日の南米予選の第1試合だった。過去の地域予選では1試合しか負けたことがないブラジルが、初戦コロンビア戦を0−0で引き分けたのを皮切りに、まさかの浮沈をくり返すことになる。それは「個人技」と「組織プレー」の間で揺れ続けたブラジルサッカーの苦悩でもあった。

 その間、成績不振で監督も次々と交代した。ルシェンブルゴ、カンジーニョ(代行)、レオン……。そして最後に就任したのが、監督として百戦錬磨のフェリペだった。

 彼は、強い意志でブラジルの戦術を変えていった。伝統的な4バックから3バックへ変更し、その前に、2人の守備的ハーフを配置することで守備ブロックを固めた。それには、前線プレーヤーの両サイド、ロベルト・カルロスやカフー、またリバウドやロナウジーニョ、そしてロナウドといった、あふれる個人の才能を存分に活(い)かそうという意図が込められていた。そしてブラジル代表は苦労したとはいえ、結局は南米予選の最終戦で本大会の出場権を手に入れたのである。

 たしかに厳しい予選を通じてチームの結束は高まった。それでも、まだ構造的な問題が残されていた。才能集団であるが故の苦悩。彼らの攻撃は、まだまだパスやボールがないところの動きなど、「組織・連係プレー」としては大きな課題を抱えていた。フェリペも、十二分に分かっていたに違いない。それでもブラジルは、「個」を前面に押し出すサッカーを貫き通し、決勝まで勝ち進んできた。

 決勝戦では、世界の組織サッカーの手本であるドイツの「職人」たちが、ブラジルの連係プレーや組織プレーの弱点を突いた。ドイツには、ブラジルの個人に頼る攻撃の「リズム」が明確に見えていた。ボールのないところで動く選手へのハードマークで次々にボールを奪い返す。徐々に危険な攻撃集団になっていったドイツに対し、それでも最後に、その職人たちの忠実プレーを振り切ったのは、ブラジルの「個人技」だった。

 ロナウド、リバウドのコンビによる2点。フェリペは、戦術を変えることのリスクを明確に計算しながら、現時点で最良だと確信する「やり方」にこだわりつづけ、栄光を勝ち取ったのだ。それはそれで、一大舞台での大した人事マネジメント、戦術、選手管理だった。

 しかし、だからこそ逆に、世界のサッカー界は、再び永遠のテーマと向き合うことになった。魅(み)せる、美しく、強いサッカーの実現に向けた、組織プレーと個人プレーの高質なバランスを、どう取るのか。

 世界のエキスパートたちは、今回のブラジルのサッカーには限界があることをよく知っている。彼らはまた、才能ある選手たちに組織プレーをやらせることの難しさや、早い段階で敗退したフランスやアルゼンチンが示唆したように、「組織と個のバランス」を常時ハイレベルに保つことの難しさも同時に心底理解している。

 世界最高レベルの監督、選手が集うW杯だからこその普遍的テーマとの対峙。私も含めたサッカー監督たちの「究極の目標」を志向する旅は、また06年に向かって始まった。

2002.7.6 Asahi.com  サッカーコーチ・湯浅健二 氏

 

 

 

 

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