一流を育てる

 

 

巻き毛小僧が小野だった

小野・高原・稲本選手の場合…松田保氏(サッカーU17元代表監督)【1】

  サッカー界に「黄金世代」という言葉が存在する。ワインでいう「当たり年」のようなもので、日本代表候補の小野伸二(オランダ・フェイエノールト)、稲本潤一(イングランド・アーセナル)、高原直泰(磐田)、さらには曽ケ端準(鹿島)、小笠原満男(鹿島)、酒井友之(名古屋)ら、79年生まれがそう呼ばれる。

 時代が彼らを後押しし、彼らも時代を受け止めた。もちろん、個々人の努力はあった。そのうえで、時流を見極め、彼らの素質を引き出した指導者がいた。そのひとりが、松田保(54)である。

 

 93年12月、静岡県磐田市。U15(15歳以下)の強化・選考合宿が立ち上がった。全国から選ばれた中学2、3年生の30人が、94年U16アジアユース選手権、95年U17世界選手権に向けて参加した。その監督が松田である。滋賀・守山高で、日本代表の主将になる井原正巳(浦和)を育てた実績があった。

 松田は、選手たちに「夢」を尋ねた。みんなが「プロ」と答えていく。一番小さく、天然パーマの髪をぶどうの房のように垂らした少年までもが、ずっとうつむいていた顔を上げて小声で答えた。「プロになります」。それが小野だった。

 93年、ひとつの時代が始まっていた。Jリーグが創設され、324万人の観客を集めた。リネカー(イングランド)、ジーコ(ブラジル)ら世界レベルの選手が、日本に来た。合宿に呼ばれたサッカー少年が、プロを夢見るのは自然だった。

 「論よりモチベーション」。こう考える松田には、Jリーグ以外に二つの追い風が吹いていた。「ワールドカップ(W杯)出場の現実味」と「02年W杯日本招致運動」だ。この年、日本はW杯出場目前に、ロスタイムの失点で初出場を逃していた。一方で、W杯開催国に正式立候補した89年以降、日本は毎年5億円近くをかけてユースの海外遠征を奨励した。目標は明確。モチベーションが空回りする心配もなかった。

 U15チームは大学生らに大敗を続けた。が、楽しそうに練習をするチームだった。

 「周りは努力と思うだろうけど、本人は努力と思っていない」

 そんな松田の理想に近づいていた。

 松田には、まだ中学2年だった小野たちの記憶は断片的でしかない。最初にピッチに来てボールをけり、練習後もけっていたのが小野だった。理屈っぽかった高原は、止められるまで、ただただ走っていた。稲本はMFからDFに変わり、戸惑いながらも取り組んでいた。

 いまも滋賀・守山北高で監督を続ける松田はいう。

 「黄金世代が時代に恵まれていたのは確かだ。ただ、時代がモチベーションを作れるなら、指導者にもできるのではないか。そこが面白いから僕は監督を、サッカーを通しての人づくりを30年以上もやっている」

 94年、U16アジアユース選手権1次予選で台湾を12−0、グアムを14−0で破り、最終予選へ進んでいく。

2002.4.6 Asahi.com  石川雅彦 氏

 

 

〜コーチングプロひとこと〜

「夢」の力を活用

 サッカーのうまい中学生と「プロ」の間には、基礎体力も技術も大きな違いがある。しかし、夢を追い続ける透明なエネルギーには差がない。松田監督は「夢」の力を活用し、伸び盛りの選手が互いに競い合い、切磋琢磨(せっさたくま)する雰囲気をつくりだすことで、自然と実力に磨きがかかる環境を実現した。モチベーションとは、指導者が選手に与えるものではなく、選手が心の内に秘めた情熱を引き出すことなのだ。

(学習学協会代表理事・本間正人)

 

 

高原は「α波」を聞いた

小野・高原・稲本選手の場合…松田保氏(サッカーU17元代表監督)【2】

 94年10月22日、カタールの首都ドーハ。U16(16歳以下)アジアユース選手権の最終予選3試合目の韓国戦直前、高原直泰、稲本潤一、小野伸二らは、控室にうつむいて座っていた。

 監督の松田保(54)に率いられて、優勝を狙ってアジアの西端まで来た。しかし、初戦のアラブ首長国連邦に2−5で大敗し、続くイラクにも0−1で連敗した。決勝トーナメントに進むことすら、「可能性は10%」(松田)まで落ちていた。

 ワンワンワンワン……。彼らがつけるヘッドホンから、かすかな共振音が流れていた。

「α波誘導装置」

 リラックスしながら集中しているときに現れるα波を装置から流して、頭のなかに生み出す仕組みだ。

 松田は、ユース世代では初めて本格的なメンタルトレーニングを取り入れた。始めたのは、このアジアユース選手権の1カ月前である。スポーツ心理学の豊田一成滋賀大教授が請け負った。豊田教授は国内合宿だけでなく、海外遠征にも同行した。

 呼吸法、自己催眠、イメージング、そしてカウンセリング……。「α波」も、その一環だった。選手らには好評で、遠征のバス移動や練習の合間などに聞いていた。

 いよいよ、韓国戦が始まる。

 試合直前のα波測定は93%を記録していた。アラブ首長国連邦戦の82%、イラク戦の72%を大きく超えた。だからなのか、試合は高原らのゴールで3−0の圧勝をおさめ、決勝トーナメント行きを確実にした。

 快進撃が始まった。準決勝のオマーン戦は3点を取られながら追いつき、高原のVゴールで撃破。決勝のバーレーン戦も延長のすえに1−0で下した。

 日本サッカー協会幹部は感激して言った。

 「こんなに精神的にタフでチャンスに強い日本代表は初めてだ」

 豊田教授は高校生だったイチロー(シアトル・マリナーズ)のメンタルトレーニングも受け持ったことがある。将来の目標を聞いたとき、少なからず驚いた。イチローはこともなげに答えた。

 「まずプロ野球選手になること。なるだけではつまらないので、うらやましがられる選手になることです」

 一流になるには、実質ゴールを作るだけではだめなのだ。

 「仮想ゴールを実質ゴールの先に定めて、淡々と実質ゴールを越えていかなければいけない」(豊田教授)。

 もっとも、U16チームのメンタルトレーニングが初めから順調だったわけではない。

 高原は意固地でふさぎ込みがちだった。小野は感情の起伏が激しく、いやなことはすぐ放りだした。一番明るかった稲本は深く考え込まない気分屋で、いってみれば「ラテン系」の子どもだった。

 松田は、こう解説する。

 「少年期のメンタルトレーニングの目的は、自分の精神状態を自分でなんとかできるという自信を持てることが一番大きいんです」

 自分ではどうしようもないと感じていた緊張感や劣等感、それに切迫感を、自分の支配下における。その心理的余裕があってこそ、実質ゴールの先に、はるかな仮想ゴールを設定できるというわけだ。

2002.4.13 Asahi.com   石川雅彦 氏

 

〜コーチングプロひとこと〜

心理ケアが大事

 相撲や柔道の世界では心技体の一致が強調される。他のスポーツでも、名コーチは基礎体力や技術ばかりでなく、選手の心理面のケアに配慮している。そして、それは選手にプレッシャーを与えるだけの「精神主義」とは別物だ。松田監督と豊田教授は、科学的・体系的なメンタルトレーニングを行うことで、選手がリラックスして最高の力を発揮する状態を実現した。心のファクターを重視する姿勢が指導者には不可欠なのだ。

(学習学協会代表理事・本間正人)

 

 

ラテンボーイ稲本参上

稲本・小野・高原選手の場合 … 松田 保 氏(サッカーU17元代表監督)【3】

 イタリア・セリエAの「ACミラン」を熱狂的に応援する前東大学長の蓮実重彦がいったことがある。

 「サッカー人気でラテン的な思考が広がれば、日本も少し変われるんじゃないかなぁ」

 蓮実の分析によると、野球は「アングロサクソン・スポーツ」、サッカーは「ラテン・スポーツ」。そのうえで、日本の行き詰まりは「野球思考の行き詰まり」ということらしい。

 松田保(54)にとって、いかに「ラテン思考」をチームに広めるかは、U15の日本代表監督を引き受けたときから大きな課題だった。松田は「ラテン的」を「感性の超越」「陽気と情熱」「楽観主義」「リズムとダイナミック」と定義し、「学校スポーツや日本的社会からは一番育ちにくい考え方だ」と話す。

 U15チームで「ラテン的」な素質が最も顕著だったのは稲本潤一である。育てられたキャリアが、彼の持つ開放的で陽気な性格を後押ししていた。

 稲本は中学、高校のサッカー部出身ではない。Jリーグのクラブ出身だ。92年、中学進学と同時にガンバ大阪のジュニアユースに入り、そこで能力があれば年齢に関係なくレベルアップできることを知った。そこから生まれるサッカーの楽しさと妙味も学んだ。高校2年生からJ1チームと練習し、97年には当時の最年少記録の17歳7カ月でJリーグ公式戦に登場した。

 松田は、とくに稲本を利用して「ラテン思考」を浸透させていった。

 「ピッチでは平等」を徹底させ、年齢で選手選考はしないことを明言した。高校1年、中学3年が参加したU16アジアユース選手権では20人中7人を中学生から選んだ。U17世界選手権でも18人中5人は学年が1年下だった。

 心がけていたのは、「風通しのいいチーム」。選考意見が分かれた場合は、「サッカーを楽しんでいるか」「場を明るくできるか」を重視した。

 ラテン的な「感性」を育てるのに、「気」を利用したのも松田ならではだった。メンタルトレーニングの呼吸法や自己催眠などで、頭のなかに開発されないでいる「勘」「イマジネーション」に働きかけた。

 松田の言葉を借りると、「感性」とは「外界の刺激を拾う広さ、深さ」の度合いを指し、その開発レベルが「予測能力」につながり、相手より一歩早い動きにつながるという。

 「イチかバチかでかけるんじゃない。100%相手の次の動きがわかるんだ」

 アルゼンチンのスーパースター、マラドーナがこう話したことがある。ラテン民族がすぐれているといわれる「感性」を口にしていたのだろう。

 「予測能力」は個人技につながる。松田が選手育成の合宿で指摘したのは、「チャンスでは自分の直感を一番大事にしろ。上級生にパスを出せ、と言われても、行けると思ったらいけ」ということだった。

 同時に「個人技とは自分を信じることであり、結果をすべて引き受けることでもある」という責任感も求めた。

 松田は言う。

 「僕はいままでコツコツと練習でラテンなんトいっていましたが、02年W杯では一気に世界中からラテンの波が入ってくる。サッカーという世界に向けたひとつの窓が大きく開かれ、日本の若者がどう受け止めるかなんです」

Asahi.com  2002.4.20  石川雅彦 氏

 

〜コーチングプロひとこと〜

伸び伸び楽しむ

 「努力・根性・忍耐」を合言葉に体育会系の指導を受けてきた世代は、「調子にのる」という言葉に浮ついた響きを感じるだろう。しかし、選手が教科書を越えた動きを自然にできるようになるためには、感じる力を磨くことが重要だ。地道な積み上げや、長幼の序も素晴らしいことだが、「陽気・楽観・情熱」をキーワードに伸び伸びスポーツを楽しめる指導法を、より好ましく、より効果的に感じる世代も確実に増えている。

(学習学協会代表理事・本間正人氏)

 

 

1ドル80円が生んだそっ啄

小笠原・小野選手らの場合…松田保氏(サッカーU17元代表監督)【4】

 95年3月、円相場が1ドル80円台まで急騰した。この円高が、小野伸二、稲本潤一、高原直泰ら「黄金世代」の誕生を後押ししたことは間違いない。国内で合宿するより海外に出た方が格段に出費が少なかったのだ。

 「中学、高校時代に海外の同世代と戦うべきだ」という方針を持つU17監督・松田保(54)たちが、飛び出していったのは当然だった。

 松田らの「海外旅行」は94年4月、U16時代のアメリカ遠征を皮切りに、21カ月で9回、12カ国、合計100日以上にのぼった。ほぼ2カ月に一度は海外に出ていた計算になる。

 たとえば、小野が「スピード、技術、すべてすごい」と振り返っている95年春の南米遠征。春休みに、エクアドルとブラジルを回り、実に7試合を戦っている。

 遠征名簿には、小野、稲本、高原のほかに、曽ケ端準、酒井友之、小笠原満男という現在の日本代表候補6選手が入っている。みんな中学を卒業したばかりだった。

 なかでもU17ブラジル代表との対戦は、「だれにも負けない」という自負を持っていた少年らに、強烈な印象を残した。世界一の大きさを誇るリオ・マラカナンスタジアムで、大観衆に迎えられた。1−2で負けたが、選手たちは相手の柔軟体操やドリブル、ボールハンドリングの練習までじっと見ていた。夜の式典には当時の国際サッカー連盟のアベランジェ会長も顔を出し、一人ひとりに「君たちがこれからのサッカー界を背負う」と話しかけた。

 松田は言う。

 「世界にはとてつもないやつがいるということを、ある段階で知ることは重要です。それもおれには全然できない、と完全にお手上げになる段階ではなく、もう一歩伸びたい、というときにです」

 「夢がJリーグ」だった小野が「世界のプロに」と考え始めたのは、この南米遠征直後のことだ。

 95年5月2日、欧州遠征で、ベルギーの「アンデルレヒト」のU18ユースと対戦。小野は抜群のドリブル突破やスポットパスを連発し、3−1で快勝する原動力になった。

 宿舎に戻ると、アンデルレヒト幹部が待っていた。そして、松田に切り出した。

 「小野と契約したい」

 「契約?」

 即答はできない。が、松田はチーム全員の前で、この話を報告した。同僚から「伸二、ベルギーに残れよ」「ガイジンと結婚できるぞ」と、ひやかされた小野は、ただただ笑っているだけだった。

 その場にいた稲本、高原が、「伸二にできるのなら、おれにも」と考えたのは間違いない。のちに、小野はオランダへ、稲本はイングランド、高原はアルゼンチンへ飛躍している。

 教師だった松田の父は、定年の記念に「そっ啄(たく)」と書いた色紙を配った。

 雛(ひな)がかえるとき、親鳥は卵の内からつつかれる、わずかな音を聞き逃さず、外からつつき返して殻を割る。これを「そっ啄」という。松田は「タイミングです。早すぎても遅すぎてもいけない」と話す。95年の南米、欧州遠征は「黄金世代」に、なににも増して重要な「そっ啄」といえた。

2002.4.27 Asahi.com   石川雅彦 氏

 

〜コーチングプロひとこと〜

目標水準を高く

 日本ではトップと言われる実力者が、海外の試合ではまったく通用しないというケースが少なくない。「井の中の蛙(かわず)」に終わることなく、グローバルに活躍できる選手を育てるためには、怖さを感じない若い年齢で、同世代のライバルと実戦経験を積ませることが有効だ。

 国際的な大舞台を踏む場数が増えると、目標が高くなり、世界との心理的距離が縮まる。緊張で硬くなって実力を出し切れないという悲劇は、経験不足が大きな理由である。

(学習学協会代表理事・本間正人)

 

 

「人と運」伝えて本物

小野・高原・稲本選手の場合…松田保氏(サッカーU17元代表監督)【5】

 

 95年のU17チームのなかで、どうして小野伸二、稲本潤一、高原直泰、さらには曽ケ端準、小笠原満男らが伸びたのか。監督だった松田保(T4)にはいまひとつわからない。ただ、思い当たることを探そうとすると、彼らが「走っていた」光景が頭に浮かぶ。

 U17代表は78年生まれの選手中心に選ばれていたが、先の5人は79年生まれだ。

 U16、U17時代の1学年の違いは、驚くほど大きな体力差につながる。松田は合宿最初のころの持久走で、小野と稲本がいつも最後尾を、あごを突きだして、肩で息をしながら走っていたのを覚えている。

 松田は「まず感性、それから体力」と考えている。ボールのハンドリングやリズム、パスを出すタイミング、俊敏性などの感性や技術がまずありきだ。体力は17、18歳になってからつければいい。

 「1年遅れ組」は体力がないために、持っている感性や技術を披露できない。「78年組」との体力差を目の当たりにして、彼ら「79年組」は、走るしかなかったわけだ。

 サッカー選手は走れ。これは松田の永遠のポリシーだ。

 松田にサッカーを教わった、現滋賀県サッカー協会理事長の奥村弘は「5キロインターバル」が忘れられない。「400メートルじゃなくて、5キロですよ。いまから考えても恐ろしい」。5キロ走って帰ってくると、1分ほど休んだだけでまた5キロ。大学を出たての松田も一緒に走るから、途中でさぼれなかった。

 松田は「走ることは体力だけでなく『人や運』までも引き寄せるところが面白い」という。

 なぜ一流になる選手には、人生の節目節目で手を差し伸べる人物が現れるのか。

 たとえば小野。サッカー部のなかった静岡県沼津市の中学校では、小野のためにサッカー部ェ作られた。そこでのがんばりが認められ、当時「全国一」といわれた清水市のトレーニングセンターへ。さらにU15代表、高校サッカー界の雄・清水商へと続く。高校時代は、小野にほれこんだ地元の旅館主に下宿させてもらっていた。

 清水商で、小野だけでなく川口能活(ポーツマス)、名波浩(磐田)らを育てた大滝雅良監督(50)は「人にも運にも恵まれるのは『努力の味』を知っている選手だけです」と言いながら、こう解説する。

 「精いっぱい汗を流している人間は、周りが助けたくなる。それだけチャンスが増え、運につながりやすくなる。監督28年の結論です」

 指導者としての経験を積むにしたがって、松田にとっての指導者の理想像は、技術や考え方だけでなく、「人と運」を伝えられる指導者になってきた。同時に、「努力」だけで「人や運」と出会えるほど単純でないこともわかっている。

 松田は、いう。

 「一流選手だけでなく、人間は人や運をたぐり寄せられれば、どの分野に進んでもやっていける。その術(すべ)をどう伝えるかですね。これが指導者として最後の課題だし、教えられれば本望です」。

2002.5.4 Asahi.com  石川雅彦氏

 

〜コーチングプロひとこと〜

未到地に新世界

 「人事を尽くす」ことは、一流選手にとっては当然のことだが、プラスアルファがなければ、超一流にはなれない。その壁を超えるマニュアルは存在しないが、限界を超して走り続ける時に、未到の境地が開けてくる場合もある。

 真空ポンプの吸引力は真空の度合いに比例する。人間では無心さ、ひたむきさが、他人の心を動かすのかも知れない。「運」や「天命」とは、頭で考える合理性や人知を超えた、魂のひらめきなのだ。

(学習学協会代表理事・本間正人)  

 

 

 

 

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