ブラジルに足りないもの

 きっとブラジルは強いのだろう。しかし、何かが足りない。

 埼玉でブラジルとトルコの準決勝を見たあと、帰りの車の中でずっとそのことを考えていた。それは、この準決勝ばかりでなく、予選リーグのときから感じていたことだった。

 大会前は、ブラジルが決勝まで勝ちすすむなどとは、誰も考えていなかった。南米予選で史上最悪の六敗も喫し、出場四カ国のうち、やっと三位で通過するという体たらくだったからだ。

 しかし、本大会がはじまると、予選リーグを三戦全勝で勝ち上がり、決勝トーナメントでも、ベルギー、イングランド、トルコをあっさり片づけてしまったのである。南米予選で六敗も喫したのが信じられないほど、いずれもまったく危なげのない勝ち方だった。

 そして、それらの勝利をもたらしたのは、彼らブラジルの選手たちがいつの大会でも発揮してみせる、彼らの、彼らにしかできない、とんでもない個人技だった。

 ベルギー戦で見せた、リバウドのシュート。ペナルティエリアの前でロナウジーニョからのパスを胸でトラップし、ディフェンスの選手を背負ったまま、二、三度リフティングをして振り向きざまに左足で放ったあのシュート。

 また、イングランド戦で見せたロナウジーニョの、ペナルティエリアのはるか彼方からのフリーキックも、かわいそうなイングランド・ゴールキーパーのシーマン以外は、敵味方ともほとんど動かずにボールの行方を見つめていたほど意表をついたものだったし、準決勝のトルコ戦で唯一のゴールとなったロナウドのドリブル突破からのトウキックも、ロナウド以外にはやってのけられないものだった。

 しかし、それ以外は何もなく、ほかに彼らがやったことといえば、時間かせぎのために、相手のタックルにことよせて、大げさにピッチに倒れて転げまわったことぐらいだった。そういうふうにして、時間かせぎをしたり、相手をあざむいてイラつかせることを、ブラジルでは伝統的にマリーシアといって戦術のひとつにしていることは知っているが、見ていて愉快なものではない。

 それがもっともはなはだしかったのは、準々決勝のイングランド戦でロナウジーニョが退場になったあとだった。たぶん彼らは、2対1のリードを守るために、十人で必死に戦うことより、そうして二分でも三分でも時間をかせいだほうがらくだと思ったのだろう。そしてそれをもっともひんぱんにやっていたのは、チームの大黒柱のリバウドだった(彼は予選リーグのトルコ戦でも、相手の蹴ったボールは脚に当たったのに、顔に当たったという演技をして倒れ、相手を退場に追いこんだ)。

 準決勝のトルコ戦でも、同じような光景を何度も見た。ロナウドの個人技で取った一点と、マリーシア。そしてこの試合でも、それ以外は何もなかった。

 彼らに欠けていたのは、威厳だった。

 むろん、ブラジルのサッカーは、昔から個人技とマリーシアで、今と何も変わらない。しかし、かつてのブラジルにはジーコ、近くはドゥンガのような選手がいた。

 ジーコもドゥンガも日本にきて、日本のサッカーにはマリーシアが足りないといって、アントラーズとジュビロの選手たちに狡猾になることを教えた。しかし一方では、勝つためには、いついかなるときでも、歯をくいしばり、必死で戦うことも教えた。そして、選手がぶざまなプレーをすると、額に青筋を立てて怒鳴りつけた。それはブラジルの代表チームに対しても同じで、前回のフランスワールドカップでドゥンガが試合中にベベットを怒鳴りつけ、二人がつかみ合いになりそうになったところに、レオナルドが止めにはいった光景を覚えている人は多いだろう。

 かつては、彼らのような選手が、個人技とマリーシアのチームの中で、チームに欠けている規律を保ち、威厳を体現する役割を果たしていたのだった。そのために、ブラジルは強いばかりでなく、すばらしくいいチームに見えたのである。

 今回のチームには、そういう選手がいない。だから、ブラジルは強いのかもしれないが、いいチームには見えない。

 そのことに思いあたったのは、深夜、車がやっと家に着くころだった。 

 

海老沢泰久(作家)

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