日々是亜洲杯2007

 

3年後を懸けた決戦

2007年07月20日

■再現された「魔の後半39分」

 後半39分、オーストラリアは左タッチラインからニールがロングスローを入れる。飛び出すGK川口。それを追ってジャンプする中澤。だが、それより一瞬早く、ケネディがヘディングでゴール前に流す。駒野がキューウェルとセカンドボールを奪い合い、こぼれたボールをカーヒルが迷うことなくシュート。三都主が空振りして紙人形のように倒れ、日本のゴールネットが無情にも揺れる。日本、同点に追いつかれる――。

 日本のサッカーファンなら誰もが脳裏に焼き付けている、昨年のワールドカップ(W杯)初戦での、この同点シーン。まさか、オーストラリア戦を前日に控えた、この日の練習で再現されるとは思ってもみなかった。

 中澤と阿部のセンターバックコンビに、相手から見て左サイドからロングスローが放り込まれ、高原、巻の長身FWがオーストラリア攻撃陣に扮(ふん)して中澤と競り合う。

「いいか、ユウジ(中澤)がカブってからをイメージしろ!」

 オシムの意をくんだ、大熊コーチの指示が飛ぶ。悪夢のような、オーストラリアの同点シーン。あのあと日本は、中澤のヘディングのクリアを拾われ、アロイージからのパスを受けたカーヒルが逆転ゴール。さらにロスタイムには、日本の最終ラインが前掛かりになったところを相手のパスワークで簡単に裏を突かれ、絞っていた駒野をあざ笑うかのようにアロイージがドリブルでかわして、絶望的な3点目が入る。日本守備陣の崩壊は、まさにあのロングスローのシーンから始まったのである。

「現実的には1年前の試合と、明日の試合で、ビドゥカを抑える担当はそれほど変わりはないだろう。同じ選手になるのかもしれない」

 練習に先立って行われた前日会見で、オシムはこのように述べている。おそらく指揮官は「ビドゥカ番」を中澤に託すだろうし、本人もそれを強く熱望していることは容易に想像できる。もちろん1年前のことを思えば、ある意味、無謀な選択であるように思えるかもしれない。しかしながら、あえてそれを決断するところに、オシムと、彼が立ち上げた新しい日本代表の、並々ならぬ決意表明のようなものを読み取ることができる。

 してみると、オシムが記者たちの目前で「魔の後半39分」を再現してみせたのも、実のところ彼一流の“シグナル”であったと考えるのは、いささかうがち過ぎであろうか。

■「甘美なるノスタルジア」の払しょく

 再び、前日会見にて。ここでオシムは、極めて意味深長な発言をしている。

「去年の試合(W杯でのオーストラリア戦)は、私は観客席で生で見ていた。(中略)私の印象としては、よいチームが勝った、ということだ。もちろん、日本人には気に入らない言い方だろうが、事実としてそうだった」

 要するに、1年前の日本(つまりジーコが指揮した代表)は「よいチームではなかった」と暗に批判している、とも取れる発言である。これまで前任者について、極力、その評価を避けてきたオシムにしては、かなり踏み込んだニュアンスを含んでいるといえよう。この言葉を耳にして私は、明日の試合でオシムが、単に勝利だけではなく、この1年間の総決算をももくろんでいるのではないかと考えるに至った。

 オシム体制になって、はや1年。当初はW杯での惨敗を受けて、彼の就任と「日本サッカーの“日本化”」というコンセプトには、ファンからも多くの賛同が寄せられた。オシムが指し示した方向性は、それから今に至るまで微動だに揺らぐことなく粛々と続けられている。しかし一方で、一部では批判も少なくない。いわく「メンバーに華がない」「ジェフ千葉の選手を重用しすぎる」「相手をリスペクトしすぎる」「なぜ小野伸二を呼ばないのか」などなど。揚げ句には、代表人気凋落(ちょうらく)の戦犯扱いまでされる始末。もちろん、言い掛かりめいた批判も少なくないのだが、やはり「アジアカップ出場権獲得」とか「キリンカップ優勝」くらいの結果では満足できないファンもまた、確実に存在するのは致し方ない話である。

 派手で、話題性があって、とにかく分かりやすかったジーコ・ジャパンへの甘美なるノスタルジア――それこそが、オシムが目指すサッカーにとっての“障害”であったと考えて差し支えないだろう。となれば、今回のオーストラリア戦は、そうした“障害”を一気に払しょくする、千載一遇のチャンスである。これに勝利すれば、今後3年間の仕事は、かなりやりやすくなるはずだし、それはオシム自身も重々承知しているはずだ。

「代表監督は、自分のやりたいことをやる。それを第三者がどう評価するか。(中略)だから、われわれが進歩しているのかしていないのかという評価は、世論にお任せする」

 今月末の参議院選挙に先立ち、サッカーファンの世論は、このオーストラリア戦で大きなうねりを見せることだろう。勝てば昨年からの方向性が認められるが、負ければ世論の猛烈な逆風を覚悟せねばなるまい。いずれにせよ、明日のゲームで、今後3年の日本サッカーの方向性が決まる――そういっても、決して過言ではないといえよう。

宇都宮徹壱 氏/Tetsuichi Utsunomiya

 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/column/200707/at00013955.html

 

 

ターニングポイント

2007年07月21日

■オーストラリア戦勝利を祈念する理由

 キックオフ20分前、ミ・ディン・ナショナルスタジアムの記者席に到着。いつものように、記者席からスタジアム全体を俯瞰(ふかん)してみる。予想していたとおり、スタンドはかなりの空席があった。今ごろ日本のテレビ中継は「リベンジ」だの「3連覇」だのとあおっていることだろう。しかし、少なくとも現場の雰囲気は実にのんびりしたもので、これから演じられる死闘をイメージするのが難しいくらいであった。

 メンバー表に目を落とす。日本のスタメンは、UAE(アラブ首長国連邦)戦、ベトナム戦以来の不動の11人。このうち、川口、駒野、中澤、中村俊、そして高原の5人が、1年前のカイザースラウテルンのピッチに立っていたメンバーである。彼らにはやはり、期するものがあるのだろうか。それとも無心で、キックオフの時を待っているのであろうか。

 少なくとも私には、この日のオーストラリア戦には、大いに期するものがあった。というのも今大会の開幕当初から、私はアジアカップ3連覇よりも、むしろオーストラリアに勝利することを、何よりも望んでいたからである。ただしそれは、ゆめゆめ「リベンジ」などという安っぽいフレーズで語られるべきものではない。

 私がオーストラリア戦勝利を祈念する理由は、大きく2つある。

 まず、オーストラリアへの苦手意識を払しょくすること。いずれ2010年ワールドカップ(W杯)の最終予選で直面する相手である。本番で当たる前に、やはり真剣勝負の場で彼らをたたいておかねばなるまい。思えば1996年のアジアカップでは、日本は準々決勝でクウェートに敗れたことで、その後しばらく中東勢への苦手意識を引きずることになってしまった。ここで同じ轍(てつ)を踏んではいけない。

 もうひとつが、この1年のオシム体制の是非を問われる――ひいては、今後3年間の代表の強化の方向性が、この試合の結果次第で左右されかねない、ということ。この件については、昨日(7月20日)の日記でも触れていることなので、重複は控える。いずれにせよ、お互い監督が変わり、メンバーも多少の入れ替えがあったとはいえ、このタイミングでオーストラリアと真剣勝負することは、現時点での日本の力を推し量る絶好の機会といえる。もちろん、そこで敗れた場合のリスクについては、それなりに覚悟しなければならないのだが……。

■試合は今大会初のPK戦に……

 高原の見事な同点ゴールが、失点後の嫌な雰囲気を振り払った【 Photo:北村大樹/アフロスポーツ 】  さて、試合である――といっても、この試合は多くの方がテレビで観戦していただろうから、ポイントをしぼって振り返ることにしたい。

 オーストラリアは序盤から、長いパスと放り込みで揺さぶりをかけてきた。迎え撃つ日本は、中澤がビドゥカを、そして阿部がアロイージをマーク。ポストからボールが流れたり、後方から追い越してくる選手に対しては、鈴木や中村憲が「あ・うん」の呼吸でフォローに入って挟撃する「サンドイッチ作戦」がうまく機能している。自陣でボールを持たれても、人数を費やして次々とボールに向かっていくことで、相手を好きにさせない。それだけ日本の守備は、見事な連動性を発揮できていた。

 問題は、攻撃での連動性である。得意のサイドチェンジと縦へのワンツーから、日本はたびたびクロスを入れてチャンスを作るものの、なかなか中とのタイミングが合わない。特に、クサビに入った巻のラストパスは精度を欠き、何度もため息を誘った。

 後半に入ると、オーストラリアは早々に最初のカードを切ってくる。16分、ビドゥカを下げてキューウェルを投入。それまでの2トップからアロイージの1トップにして、よりワイドな攻撃からきわどいクロスを何本も上げてくる。オーストラリアの飛び道具に対し、中澤、阿部を中心とする日本の防空体制も手堅く対応。しかし後半24分、キューウェルによる右からのコーナーキックが、そのままファーサイドまですり抜けたところを、アロイージが押し込み、ついにオーストラリアが均衡を破る。

 対する日本も、すぐさま反撃に転じる。27分、中村俊の左サイドからのクロスに、ファーサイドで巻が頭で落とし、相手DFのクリアミスを高原が奪って反転しながら左足シュート。ボールは左ポストの内側に当たって、見事にゴールに吸い込まれていく。

 わずか3分しかリードを守れなかったオーストラリアは、後半31分にMFのグレッラが、空中戦での高原へのファウル(ひじ打ち)で一発レッド。同点弾の勢いに加え、相手が1人少なくなったことで、日本の優位は一段と確実なものになっていった。

 オシムを含む選手・スタッフ全員が大きな円陣を組んで臨んだ延長戦。オーストラリアはキューウェルひとりを残して、全員が自陣で守り続ける。時おり鋭いカウンターを試みるものの、さながらダウン寸前のボクサーのようにガードを固めてPK戦に持ち込むのが精いっぱい。対する日本は、再三猛攻を仕掛けるのだが、GKシュワルツァーが神懸りのセーブを連発し、ついに試合は今大会初のPK戦に突入する。

 もっとも「神懸り」という意味では、やはり川口の方が一枚も二枚も上手であった。先攻のオーストラリアに対し、川口はキューウェル、ニールのキックを左に右に連続セーブ。対する日本は、4人目の高原がバーを越える“宇宙開発”をしたものの、ほかの選手は全員が冷静にシュートを決め、最後は中澤の豪快なキックで息詰まる戦いに終止符を打った。

■心理戦でも勝利していた日本

 試合後の選手たちの喜びようは、ちょっと尋常ではなかった。それは、テレビでこの試合を観戦していたファンの皆さんも同様だと思う。さすがに記者席は大騒ぎということはなかったが、それでも同業者の多くが、この日の結果に感無量の表情を隠せなかった。

 確かに、劇的な要素がつまった試合ではあった。中澤とビドゥカとのマッチアップ。高原のダイナミックなゴール。そしてPK戦で見せた川口の見事なセービング……。

 だが、われわれの喜びは、単に120分の結果によるものだけではなかったはずだ。ついでにいえば、今後さらに2試合(準決勝と決勝か3位決定戦)が保証されたことや、3連覇の可能性がぐっと近づいたことについても、極論すれば、副次的な喜びでしかないとさえいえる。

 この日の勝利は、あの暑いカイザースラウテルンでの惨敗の記憶を払しょくさせるものであり、同時に、その後の1年間の日本サッカーの歩みが正しかったことを証明するものでもあった。そして、サッカーにたずさわる多くの日本人が、この激動の1年に思いをめぐらせ、喜びを爆発させたのだといえる。

 ここで、オーストラリア戦の勝因を3つほど挙げておきたい。

 まず、システマティックな守備。これについては、すでに言及していることなので、さらに言葉を重ねる必要もないだろう。ひとつ補足するなら、中澤にしろ阿部にしろ、高さと強さで勝る相手に対し、空中戦で負けていなかったことは特筆に値するだろう。

 2つめに挙げたいのは、先制された直後に同点に追いついたことである。セットプレーでの失点は、それまで完ぺきに近い守備をしていた日本にとって、かなりの心理的ダメージとなったはずだ。この時、オーストラリアのゴールが、ずい分と遠く感じたのではないか。それでも、すぐに気持ちを切り替えて反攻に転じたことが、結果として直後の劇的なゴールにつながった。フィニッシュを決めた高原自身も「早く追いつけたからこそ勝てたと思う。流れが悪くなるところを持ちこたえられた」と語っている。

 それからもうひとつ、心理的に優位に立てたことも大きかった。日本の選手は、昨年のW杯で惨敗を喫したオーストラリアに対し、決しておくすることも慌てることもなく、常に自信を持って戦いを挑んだ。過信でなく、確かな自信。それを支えていたのは、対戦相手に関する詳細な情報と、試合展開の明確なイメージが、選手全員で周知徹底されていたからだと思われる。相手が10人になってからは、日本は完全にゲームを制圧していたし、PKにまでもつれ込んでも、選手たちの平常心が失われることはなかった。フットボールという競技を、ひとつの心理ゲームとしてとらえるならば、その意味でもこの日の日本は、はるかにオーストラリアに勝っていたといえよう。

■「まだ時間はある」

 オシムが進めてきたサッカーが間違いでないことが証明された豪州戦。今後のさらなる進化に期待したい【 (C)Getty Images/AFLO 】  とはいえ、いくら相手を圧倒していたからといって、サッカーにはボクシングのような「判定勝ち」はない。相手が10人になってからの約45分、ついに日本が追加点を奪えずにPK戦にまで持ち込まれたことについては、不満に思うファンも少なくないだろう。実際、試合後の会見でも「日本は人数のアドバンテージがあったのに、なぜ120分で勝てなかったのか?」という質問が出た。それに対してオシムは、こう反論している。

「なぜなら、私たちのサッカーが完成の域に達していないからだ。(中略)それよりも、われわれの内容が良かったことを、もっと見てほしい。いつも心掛けているサイド攻撃は機能していた。オーストラリアに優秀なGKと優秀な4〜5人のDFがいたことは、われわれの責任ではない」

 この「私たちのサッカーが完成の域に達していない」という言葉を、単なる言い訳と取るか、それとも将来的な期待と感じるか、人によって評価は分かれるところだろう。私自身は、今のチームにある種の物足りなさを感じつつも、やはり後者を採りたいと思う。

 この日のゲームで感じた物足りなさ(=未完成の部分)をひとつだけ挙げるなら、ベンチの層の薄さである。それは、キューウェルやカーヒルを交代カードとして持っているオーストラリアと比較すれば、一目瞭然(りょうぜん)であろう。この試合でオシムがカードを切るタイミングが遅く感じられたのも(最初に今野を送り出したのが後半43分。しかも加地の負傷を受けてのものだ)、指揮官は、事態を打開できる手駒の少なさに悩んでいたようにも思える。

 実のところ、今大会に招集された23人については、全員が「勝つためのメンバー」だったとは、私には到底思えない。おそらく半数近いメンバーは「経験を積ませるためのメンバー」であり、ゆえに彼らにバックアッパー以上の働きを期待するのは、現時点ではいささか無理があるようにも感じられる。今後、五輪代表、U−20代表の若きタレントたちも含め、切磋琢磨しながら経験を積むことで、真の意味で世界と戦える23人が形作られるのではないか。その意味で「私たちのサッカーが完成の域に達していない」というオシムの発言に、私たちは現時点で悲観する必要はない。

「勝ちはしたが(日本のサッカーを)『日本化』するというところまでは、まだできていない。(中略)結論を急がないでほしい。まだ時間はある」(オシム)

 もうあと3年、このチームの進化の過程を見守り続けたい――そう感じさせるくらい、このオーストラリア戦は、まさにターニングポイントとなる一戦であった。

宇都宮徹壱 氏/Tetsuichi Utsunomiya

 http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/column/200707/at00013956.html

 

 

 

 

 

 

 

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