「若き日本代表が見せた、新たな攻撃力の可能性」

─2002年アジア大会総括─   by後藤健生

 

■DFからの正確なロングキックは、日本代表のさらなる武器となる

 本来はオーバーエイジ3人を含むU−23代表が参加すべきアジア大会に、日本はあえてアテネ五輪を目指すU−21代表を送り込んだ。つまり他の参加国とは2歳の年齢の差があったのだ。その意味で、よもや準優勝という好成績を残すとは、まったく予想外のことだった。4年前のバンコク大会でも日本はシドニー五輪候補のU−21代表が参加し、2次リーグ敗退に終わっている。

 決勝ではつまらないミスからイランに2点を奪われて優勝の夢は絶たれたが、年齢層が上でフィジカル的に上回るはずのイランを相手に、前半などは完全にゲームをコントロールしていた。

 ことに素晴らしかったのは、池田昇平−青木剛(阿部勇樹)−三田光の3人のDFのロングキックの正確性だ。これまでの日本代表は、中盤でのショートパスによる組み立てに頼るチームだった。例えばワールドカップのベルギー戦のように慎重に後ろでボールを回しながら、ロングボールを使って攻めるような戦い方はできなかった。また、ボールを奪ってから一気にトップの選手を使う、いわゆる「ダイレクトプレー」の意識も足りなかった。トルシエ監督が正確なキック力を持っている中田浩二をDFにコンバートして使ったのも、正確なロングキックを蹴ることのできるDFが少なかったからだ。

 ところが、今回のU−21代表は、DF陣がボールを回している間にトップの選手が動き出し、そこを狙って最終ラインからロングボールを入れるという連携が良かった。これに、日本がこれまで得意としていた中盤でのビルドアップが加われば、素晴らしい攻撃力のあるチームに成長することだろう。

 

■与えられた役割を果たしながら、一戦一戦成長を遂げていった

 課題としては2列目やアウトサイドの選手の攻撃参加がある。上にも述べたようにロングボールを使って、ボールを積極的に動かすことはできたが、攻撃が前の3人(ツートップとトップ下)の選手に限られてしまうのだ。人が動かないと攻撃は薄くなってしまう。

 大会の途中から森崎和幸と鈴木啓太の2人のボランチが縦に並ぶようになり、鈴木が攻めに絡むようになったが、さらにトップに飛び出すような動きのできる選手が必要だろう。

 守備面では、各選手の戦術的な能力が高かった。特に準々決勝の中国戦では、完全に相手のやり方を分析しつくし、中国に攻め込まれながらも完封した。トップの大久保嘉人や田中達也、左アウトサイドの根本裕一らが、与えられた役割をしっかり果たしたのが勝因だった。

 初戦のパレスチナ戦、2戦目のバーレーン戦まではチームの一体感もなく、まったくコンビネーションもできていなかったが、一戦一戦何かをつかみながら、大会中に大きく成長した。

 

■東アジアの覇権の行方は?

 ワールドカップ出場組も多数加わえて、地元優勝を狙った韓国は準決勝でイランにPK負けして3位に終わった。もちろん、選手個々の能力は高かったが、ただアウトサイドからクロスを入れるだけでチーム全体のコンビネーションが悪く、韓国のサッカー専門家の間でも不評だった。ワールドカップの時代表でチームのリズムをうまくコントロールした洪明甫(ホン・ミョンボ)、柳想鉄(ユ・サンチョル)、黄善洪(ファン・ソノン)の3人のベテランのような選手がいなかったのが響いたのだろう。

 日本と同じくU−21代表を送り込んできた中国は、最も注目すべきチームだった。昨年のワールドユースで優勝したアルゼンチンを最も苦しめたチームだ。サビオラ、ダレッサンドロと互角に渡り合ったセンターバックの杜威、正確なキック力を持つ左サイドバックの徐亮を擁するDF陣。素晴らしい身体能力を持ち、80パーセントの走りでもスピードで相手を圧倒する右サイドのアタッカー曲波など個人能力も高く、また、U−19当時からほとんど同じメンバーで、同じ監督(元富士通の沈祥福)の下で戦ってきただけに、チームとしても完成している。

 ただ、日本にその徐亮から右サイドへの正確なロングキックを封じられ、先制を許すと、その後はただゴール前にロングボールを蹴り込むだけになってしまった。戦術的な整理が必要だろう。ただ、中国はプロリーグ発足(1994年)以来、育成に力を入れているし、2008年の北京五輪を目指して、さらに下の世代の強化に力を入れるだろう。今後、韓国がヒディンクで成功したように、有能な指導者を得れば、中国は大きな脅威になると思われる。

 その他のチームでは、結果は伴わなかったがベトナムに優れた能力を持った選手が多かった。今大会4位に入ったタイ(ベテラン勢の試合運びのうまさでベトナムを3−0で破った)と東南アジアの覇権を争うことになるだろう。

 

後藤健生 Takeo GOTO 1952年東京生まれ。慶應義塾大学法学部大学院修了。専攻は国際関係論。64年の東京五輪で初めてサッカーを観戦(ハンガリー対モロッコ)して虜(とりこ)になり、西独大会(74年)以降、前回フランス大会(98年)までW杯は欠かさず現地で取材。中学校のサッカー部でプレーし、JSLは2年めの66年から観戦。最初の国際試合は日本対スターリングアルビオン(スコットランド)戦。これまでに世界52カ国を訪問した。旺盛な取材力と鋭い分析に定評がある。著書は『サッカーの世紀』、『ワールドカップの世紀』、『世界サッカー紀行2002』(文藝春秋)、『ヨーロッパ・サッカーの源流へ』、『トゥルシエとその時代』(双葉社)など多数。

 

2002.10.14 <sportsnavi.yahoo.co.jp>

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