ブラジル優勝に思う

▲ 「遊び心」が人々を魅了

 ブラジルの先制点は、ドイツのGKカーンのミスによるように言われているが、それは違う。リバウドのあんな強くて速いシュートは、そう簡単には止められない。直前に、安易にボールを奪われたドイツの中盤選手にも非はあり、カーンに責任を負わせるより、むしろリバウドと、好機を逃さず前へ詰めたロナウドをたたえるべきだ。

 ロナウドは、このW杯へ見事ベストコンディションをあわせてきた。ブラジルの優勝は、2年間のけがとの闘いにうち勝って大舞台へ戻ってきた彼へのご褒美かもしれない。

 そして私が南米の「ファンタジー」を感じたのは、2点目。クロスをスルーしたリバウドと、決めたロナウドの息が完全に合っていた。人々はこういう美しいゴールを通じて、サッカーに魅了される。

 今大会、こうした想像力と夢あるプレーを披露したチームは、ブラジルぐらいではなかったか。

 現代サッカーはともすれば、スピードや持久力など肉体的な強さが中心になりがちだ。しかしそれだけでは物足りないということを、ブラジルが示してくれた。

 ブラジルでは小さい頃から路地で近所の仲間たちと、自由にボール回しをしたりゲームのまねごとをしたりしている。そうした土壌から生まれる「遊び心」が、サッカーを面白く魅力的なものにするために私は不可欠だと信じている。

ストイコビッチ(元ユーゴスラビア代表、元名古屋グランパスエイト選手)<asahi.com より>

 

 

▲ 中盤なき攻撃 魅力薄い

 ブラジルは分断されたチームだ。前線に3人がいて、残りは後方にいる。中盤が存在しない。だから、カウンター攻撃しかできない。ボール回しとコンビネーションがないのだ。

 そのようなチームに対しては、実際ドイツがしたように、どんどん追い込んでいけばいい。フィールドでうまく位置取りをし、ボールの出所にプレッシャーをかけ、両サイドのカフーとロベルトカルロスを守備に専念させるようにすれば、ブラジルは平凡なチームでしかない。

 確かに、前線3人の個人技は素晴らしい。ブラジルが今回優勝できたのは「3R」のお陰だ。このブラジルのスタイルをまねしたいなら、そのチームはまず、リバウド、ロナウド、ロナウジーニョの3人とそろって契約しなければならない。だが、それはまず不可能だろう。そうであれば、02年のブラジルのスタイルは忘れることだ。そして、優れたサッカー選手というのは概して個人主義に走りやすい、ということの方を忘れてはならない。彼らはボールが自分のところに来たら「おれが決めてやる」と考える。しかし、パスで回しながらチャンスをつくるのがサッカーの難しさであり、本来の姿なのである。

 ブラジルがW杯5度目の優勝を決めたのに、そのブラジルを私は批判している。しかし、私はブラジルのプレースタイルについて私の考えを述べているだけで、何もブラジルに難癖をつけるつもりはない。優勝したブラジルには「おめでとう」と言いたい。ただ、私はブラジルに魅力を感じない。

ヨハン・クライフ(元オランダ代表)<asahi.com より>

 

 

▲ 大舞台で花を咲かせたリバウドの左足

 W杯で最多優勝記録を「5」にのばしたブラジルの中で、ロナウドのような華やかさ、ロナウジーニョの奔放さをリバウドは持ち合わせてはいなかった。いぶし銀のような存在に映った。だが、「3R」の一角を担ったリバウドの「左足」を抜きに、王国の復活は成し遂げられなかった。決勝でドイツが誇る最強のGKカーンから奪ったロナウドの2ゴールも、リバウドの左足の脅威が鉄壁のカーンのゴールマウスをこじあけた。

 通算5ゴールに終わった。ロナウドと争う得点王を聞かれたとき、リバウドは「個人の名誉よりも、ブラジルの優勝しか頭にない」と言い切った。決勝トーナメントに入ってからのリバウドは、調子を上げるロナウドの黒衣役に徹したように思えた。スペインリーグの名門、バルセロナで奇跡的なゴールを生み出した左足は、この大会では左サイドから正確無比のクロスをあげ、ロナウドやロナウジーニョとのワンツーなど絶妙の連携を生み出した。左足一本でボールを操る。右足の威力は、左の半分にも満たない不器用さだが、それが、だれにもマネのできない左足の業師に仕立てあげた。

 細身のジーパンを好むリバウドのスタイルは、お世辞にも「カッコいい」とは言いがたい。極端な「O」の字形で、真横から見ると、ひざは「く」の字に曲がってみえる。「プロになってから僕は、このスタイルをもたらしてくれた両親に感謝してきた。とくに、サッカーの道を歩ませてくれた親父がいたからこそ、今の僕がある」という。少年のころから左足で放つシュートは飛びぬけていた。父親がその素質を見抜き、プロクラブの下部組織を訪ね歩いて、リバウドを入団させた。手続きを間違って2つのクラブに所属する二重登録をしてしまったため1年間の出場停止のペナルティーを課せられ、伸び盛りのユース時代は不遇の生活も過ごした。

 ロナウドやロナウジーニョ、ロベルトカルロス轤ェユース時代から「カナリア軍団」のエリートとして羽ばたいたのと違って、リバウドは21歳になってから代表に選ばれた遅咲きだった。苦労を重ねた境遇が、リバウドの不屈の源でもある。96年のアトランタ五輪、98年のフランス大会の不振で精神的に落ち込み、今季のスペインリーグではシーズン開幕から4度も軸足の右足を痛めた。それでも、リバウドは「今度のW杯には、サッカー人生のすべてをかけて挑む。いままでいいことがなかったから、きっと素晴らしい結果が出せると信じてピッチに立つ」と決意をみなぎらせて、バルセロナからW杯に旅立った。

 リーグ戦、欧州チャンピオンズリーグ準決勝での宿敵レアル・マドリードとの対決も欠場した。クラブの幹部、バルセロナの熱烈な支持者らの非難を浴び続けたが、その苦難もリバウドはバネにした。W杯初戦のトルコに逆転勝ち。決勝トーナメントのベルギー、準々決勝のイングランド戦はリバウドのゴールがブラジルの反撃に火をつけた。決勝のドイツ戦で、カーンのミスを誘ったシュートは、低い弾道を両手と胸で受け止めようとしたカーンの手前で一瞬、沈んだようにみえ、はじいたボールをロナウドが蹴り込んだ。「く」の字に曲がった左足から放つシュートは、リバウド自身も想像を超えた威力を発揮する。カーンのミスよりもリバウドの執念を感じさせた。8ゴールで得点王に手にしたロナウドの復活と同時に、リバウドもこのW杯で逞しくよみがえった。

 長男、リバウジーニョ君は現在、リバウドの所属するバルセロナの下部組織、8歳以下のチームでプレーをする。「ブラジル代表よりぼくはバルセロナのスターになりたい」と大きな夢を描く。その最愛の息子に、W杯でみせたリバウドの雄姿は、最強のカナリア軍団を強く印象づけたことだろう。ブラジルの伝統は親から子へとその背中をみながら脈々と受け継がれていく。

(的地 修)<asahi.com より>

 

 

 

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